久元 祐子 ピアノ・リサイタル     
2003 年 5 月 31 日 (土) 14:00 東京文化会館 小ホール
Program note

  
2010.4.6
2008.9.1
2008.4.15
2007.7.31
2006.9.30
2006.4.22
2005.9.13
2004.9.1
2003.10.29
2003.5.31
2002.11.20
2002.5.9

ヴィートールス : ラトヴィアの主題によるピアノのための変奏曲 変ロ短調 作品6


チマローザ : ピアノ・ソナタ 変ロ長調 


モーツァルト :パイジェルロの主題による6つの変奏曲 ヘ長調 KV398

リスト :「巡礼の年第2年への補遺〜ヴェネツィアとナポリ」から 「ゴンドラを漕ぐ女

リスト :「巡礼の年第3年」から
  「エステ荘の糸杉にT〜哀歌〜」   「エステ荘の噴水


リスト :「巡礼の年第2年イタリア」から   「サルヴァドール・ローザのカンツォネッタ
                         「ペトラルカのソネット 第123番
                         「ダンテを読んで ― ソナタ風幻想曲 ―

ピアノ:久元 祐子


<プログラム・ノート>    久元 祐子
ヴィートールス :ラトヴィア民謡による10の変奏曲 作品6

昨年のリサイタルで日本初演として弾いたが、CDも出ていない名曲で、もう一度聴きたい、という声をたくさんいただき、今年は、冒頭で弾くことにした。昨年のプログラム・ノートに少し敷衍させていただく。
曲は、変ロ短調、4分の3拍子。
テーマは、 Andante tranquillo。静かな歩みを思わせるメロディは、ラトヴィアの民謡によるもの。ラトヴィアの民謡には、哀しくせつない想いを歌い上げるものが多いが、この曲も3度下降の音程を繰り返す中でメランコリックな息づかいが聞こえてくる。前半は、5小節、5小節、2小節、という変則的なフレーズが独特の香りを醸し出す。後半は、繰り返しがある11小節からなるが、光が見えたかと思うとまた最初の暗く重いメロディに回帰し、静まるように終わる。
第1変奏 Un poco piu mosso は、少し動きとエネルギーが出てくる。動きの単位が4分音符から8分音符になり、軽さが加わる。
第2変奏 Brillante は、3連符になり、優雅な雰囲気の中に、テンポも上がる。水が流れるような自由な動きで、水の輪が広がり、また重なるように流れていく。
第3変奏は、Molto energico。第2変奏からアタッカで切れ目なく入り、力強い3度の重音が跳躍したり、音階的に動いたりしながら、音の厚みを増していく。最後は、 fff まで高まり、ラトヴィアの大地からわき起こるようなエネルギーを爆発させる。
第4変奏 Presto は、打って変わって pp の leggiero に変わり、3連符の和音が休みなく鳴り続ける。中間部は、北国ノルウェーの作曲家グリーグを思わせる音の響きで、森の妖精の踊りと歌が交互に聞こえてくるような変奏。
第5変奏 Sostenuto は、しっとりと音を保ちながら進んでいく。チャイコフスキーのコンチェルトの中に出てくる、アルペジオにばらした和音を連続させる手法なども見られる。
第6変奏は、Con forza。フォルテの和音が1オクターブ上下に跳躍し、力強く繰り返される。ラフマニノフのようなピアニズムで、p そして leggieroに突然変わる中間部の大胆な変化など、ドラマティックな変奏となっている。
第7変奏は、Poco meno mosso。アタッカで入り、バスの執拗な刻みの上にテーマが厚い和音を伴って現れる。途中で希望の光や祈りがこめられたような旋律に変わり、高音域で歌われるが、すぐにもとの暗い和音に戻り、最後は、消えいるように終わる。
第8変奏 Allegrettoは、シューマンの「予言の鳥」の出だしを思い出させるような神秘的な始まり方。pp から ff まで、軽やかな32音符からマルカートの和音まで変化する、起伏に富んだ音楽。
第9変奏は、Allegro molto。両手のユニゾンで不気味に、速いテンポで風のように過ぎていく。しかも変ロ短調、速いテンポと、ショパンの「葬送ソナタ」のフィナーレを彷彿とさせる。もっとも、虚無的なショパンのフィナーレより、熱い情念が静かに燃えあがるような激しさを感じさせる。
フィナーレは、Passionato。スケールの大きな音楽で、情熱的にたたみかけるようなフォルテで始まり、左手と右手が呼応しあうように進む。最後は、コーラスの声が重なりあうような迫力で最初のテーマに回帰する。あたたかな和声に一瞬変わっても最後は、やはり、哀しく終わる。
 

ドメニコ・チマローザ:ピアノ・ソナタ 変ロ長調
ドメニコ・チマローザドメニコ・チマローザ(左の肖像画)は、モーツァルトと同じ時代を生きたイタリア人音楽家。チマローザの人生はモーツァルトと交差することなく、この二人の音楽家は会うことはなかったようだ。モーツァルトの膨大な手紙の中には、たくさんの音楽家の名前が出てくるが、私が調べた限りではその中にチマローザの名前はない。
しかし、チマローザのオペラは1780年代にウィーンでも上演されており、モーツァルトがチマローザのオペラのことをよく知っていたことは確実だ。 チマローザのオペラは、19世紀に入ってからも高い評価を得たし、文豪スタンダールは、モーツァルトとともにチマローザの音楽に魅了され、その美しさを絶賛している 。
古典派のソナタの研究家、ウィリアム・ニューマンによれば、チマローザは、88曲のクラヴィーア・ソナタを残している。
今回弾く変ロ長調のソナタは3楽章から出来ている。第1楽章は、歯切れの良さと心地よいリズム感にあふれる。テーマの訴求力はなかなかのもので、一度この楽章を聴いたら、テーマはきっと耳に残ることだろう。第2楽章は、しみじみとした歌にあふれているし、第3楽章は、運動するエネルギーの快さを感じることが出来る。
このソナタを弾いていると、古典派のソナタの洗練された、自由闊達な姿を感じる。 そしてそれは、おそらくはオペラの世界をクラヴィーア音楽に置き換えたもののように思える。オペラのアリアや間奏曲が、生き生きと蘇ってくるような気がする。
◇モーツァルト :パイジェルロの主題による6つの変奏曲 ヘ長調 KV398

皇帝ヨーゼフ2世 モーツァルトは、皇帝ヨーゼフ2世(右の肖像画)も臨席した1783年3月23日のコンサートで、イタリア人音楽家、ジョヴァンニ・パイジェルロのオペラ「哲学者気取り、または星の占い師たち」の「主よ幸いあれ」をテーマにして即興演奏している。この変奏曲は、このときの即興演奏をもとにして、1786年にアルタリア社から出版されている。
昨年弾いた《グレトリー変奏曲》やグルックの主題による変奏曲に比べて規模は小さいが、変奏曲の後半がかなり自由に、また大胆になっていることに特徴があり、これはこの時期モーツァルトが取り組んでいた前奏曲や幻想曲の影響があるのかも知れない。
パイジェルロのオペラは、1781年5月にウィーンで上演された。
モーツァルトは以前からパイジェルロのことをよく知っていたが、1781年夏にザルツブルクの大司教と喧嘩してウィーンに移り住んだ年、ひょんなことから間接的に関わりを持っている。
この年のクリスマス・イブ、モーツァルトは皇帝ヨーゼフ2世に王宮に招かれた。 このとき招かれたのは、やはりイタリア人音楽家、ムツィオ・クレメンティだった。 ちょうどその頃、ロシアのパウル大公の夫妻がウィーンを訪れていて、皇帝はパウル大公をもてなす出し物として、音楽家同士の競演、いわばコンテストを企画したのだった。
皇帝は、モーツァルトとクレメンティにスコアを渡し、このテーマをもとに、即興で弾きなさい、と命じたが、 このソナタがパイジェルロの作品だった。 なぜ皇帝はパイジェルロのソナタをこのコンテストに使ったのか。 パイジェルロはサンクト・ペテルブルクでロシア宮廷の宮廷楽長をつとめており、ロシアの大公夫妻がパイジェルロのことを知っていると思ったからだろう。
当時のロシアの宮廷は西の優れた音楽家を招き、その音楽を取り入れようとしたが、彼らの大部分はイタリア人音楽家たちだった。その代表がパイジェルロであり、 ドメニコ・チマローザだった。

フランツ・リスト :「巡礼の年第2年への補遺〜ヴェネツィアとナポリ」から「ゴンドラを漕ぐ女」

 リストのピアノ曲集「巡礼の年」は、「第1年・スイス」が1855年に、「第2年・イタリア」が1858年に、「第2年への補ヴェネツィア遺・ヴェネツィアとナポリ」が1861年に、「第3年」が1883年にそれぞれ出版されている。
「巡礼」のタイトルのとおり、イタリアやスイスを訪れ、各地で見聞きした風景やその印象、芸術体験などがそれぞれの作品を作曲した契機となっている。あてどなく各地を放浪し、最後に幸せの地を見いだそうという心情は、もっともロマン主義的なものである。
 「第2年への補遺・ヴェネツィアとナポリ」は3曲からなるが、もともとは1840年に作曲された4曲が原型となっている。「ゴンドラを漕ぐ女」(Gondoliera)はその第1曲で、ヴェネツィアの舟歌の旋律が使われている。
この3曲のスコアを見ると、第1曲と第2曲の終わりは複縦線で仕切られ、3曲が続けて演奏されることが作曲者の意図であるように読めるが、私はむしろ余韻を持って後半のリストのほかの作品を聴いていただきたいと思い、第1曲で前半を閉じることにした。

フランツ・リスト「巡礼の年第3年」から  「エステ荘の糸杉にT」
エステ荘の糸杉 「巡礼の年第3年」は、7曲からなり、1883年に出版されている。この曲集には地名のタイトルはつけられておらず、また、以前に作曲した曲の改作ものでもない。いずれもが1860年代から70年代に作曲されたものである。第1集、第2集、第2集の補遺とはかなり作風が変化しており、はなばなしいパッセージは比較的少なく、洗練された淡い色調となっている。また、この時期のリストの宗教的境地が窺える作品も目立つ。
エステ荘 ― ヴィラ・デステは、ローマ教皇と各地の諸侯たちが血で血を争った16世紀半ば、当時のイタリアで権勢をふるった枢機卿イッポリト・デステによって造営された。もとはベネディクト派の修道院だった建物を改築したもの。山の斜面に広がる庭園には、さまざまに意匠を凝らした大小500もの噴水が配されている。
糸杉は地中海沿岸でよく見かける針葉樹。円錐形をしていて、魂が天に昇っていくようなイメージがある。エステ荘にもたくさん植えられている。
リストは1877年の夏から秋にかけてエステ荘に滞在し、「エステ荘の糸杉」を作曲した。2曲あり、どちらも「哀歌」というサブタイトルがついている。今回弾くのは第1曲だが、不思議な雰囲気と緊張感を湛えた曲である。冒頭から悲しげな鐘の音が鳴り響く。 
フランツ・リスト:「巡礼の年第3年」から 「エステ荘の噴水」
  最初から水が流れる様が音によって描かれている。それは繊細きわまりない音楽世界だが、ある意味でドラマティックでロマンティックなものである。牧歌風のメロディーも出てくる。ここでリストが表現したかったのは、風景それ自体ではなく、やはり一種のドラマだったのではないだろうか。風景それ自体を切り取ったと言うよりは、空間的な広がりを持った音の構築物を表現したかったのではないかと、この曲を弾いていて感じる。
楽譜の144小節には、新約聖書「ヨハネによる福音書」第4章第14節にあるイエス・キリストの言葉が引用されている。
― 「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」 ― (聖書・日本聖書協会)
印象派の作品を先取りしているという解説によくお目にかかるが、ドビュッシーやラヴェルとはかなり異質の世界である。 
フランツ・リスト :「巡礼の年第2年(イタリア)」から 「サルヴァドール・ローザのカンツォネッタ」
 「巡礼の年第2年・イタリア」は、「婚礼」「考える人」「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ 」「ペトラルカのソネット第47番」「ペトラルカのソネット第104番」「ペトラルカのソネット第123番」「ダンテを読んで - ソナタ風幻想曲」の7曲からなる。いずれもイタリアの絵画や文学からインスピレーションを得ている。
この7曲は続けて弾かれなければならないとする考え方もあり、確かにそうすると全体の構成や流れがよく見えてくるようにも思うが、私は絶対にそうしなければならないとも思わない。それぞれが独立した名曲であり、単独で弾かれるときに、それぞれの魅力が際だつようにも感じられるからだ。
第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」は、この曲の中では唯一軽い、行進曲風の曲。サルヴァトール・ローザは、イタリア・バロック絵画で異彩を放っている画家である。
以下のカンツォネッタの歌詞が、ピアノ楽譜の中にも書き込まれており、あるときは、ソプラノのメロディラインに、またあるときは、バスのラインが、歌となる。

Vado ben spesso cangiando loco ma non so mai cangiar desio
Sempre L'istesso sara il mio fuoco
E saro sempre L'istesso anch'io saro sempre

(私はよく場所を変える。しかし私には、いつも希望がある。
私は、いつも同じ存在だ。)(訳:ニコスさん)

ロンドンのナショナル・ギャラリーに自画像があるが(上の絵)、その雰囲気は、リスト自身に似ていると言われる。
曲はおどけた雰囲気で始まり、歌詞の内容に符合するかのように、淡々と希望を持って同じリズムで歩むような曲想になっている。三部形式からなり、イ長調のテーマの間に挿入される嬰へ短調の中間部では、叙情的な旋律が、ソプラノ、バスによって呼び交わされる。
フランツ・リスト :「巡礼の年第2年(イタリア)」から 「サルヴァドール・ローザのカンツォネッタ」
 「巡礼の年第2年・イタリア」は、「婚礼」「考える人」「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ 」「ペトラルカのソネット第47番」「ペトラルカのソネット第104番」「ペトラルカのソネット第123番」「ダンテを読んで - ソナタ風幻想曲」の7曲からなる。いずれもイタリアの絵画や文学からインスピレーションを得ている。
この7曲は続けて弾かれなければならないとする考え方もあり、確かにそうすると全体の構成や流れがよく見えてくるようにも思うが、私は絶対にそうしなければならないとも思わない。それぞれが独立した名曲であり、単独で弾かれるときに、それぞれの魅力が際だつようにも感じられるからだ。
第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」は、この曲の中では唯一軽い、行進曲風の曲。サルヴァトール・ローザは、イタリア・バロック絵画で異彩を放っている画家である。
以下のカンツォネッタの歌詞が、ピアノ楽譜の中にも書き込まれており、あるときは、ソプラノのメロディラインに、またあるときは、バスのラインが、歌となる。

Vado ben spesso cangiando loco ma non so mai cangiar desio
Sempre L'istesso sara il mio fuoco
E saro sempre L'istesso anch'io saro sempre

(私はよく場所を変える。しかし私には、いつも希望がある。
私は、いつも同じ存在だ。)(訳:ニコスさん)

ロンドンのナショナル・ギャラリーに自画像があるが(上の絵)、その雰囲気は、リスト自身に似ていると言われる。
曲はおどけた雰囲気で始まり、歌詞の内容に符合するかのように、淡々と希望を持って同じリズムで歩むような曲想になっている。三部形式からなり、イ長調のテーマの間に挿入される嬰へ短調の中間部では、叙情的な旋律が、ソプラノ、バスによって呼び交わされる。
フランツ・リスト :「巡礼の年第2年(イタリア)」から 「ペトラルカのソネット 第123番」
 フランチェスコ・ペトラルカ(1304−74)は、ルネサンスを代表する詩人だが、リストはその代表作「抒情詩集」よりソネット(14行の定型詩)を3編選んでまず歌曲を作曲している。リストは後にピアノのために編曲し、これを「巡礼の年第2年・イタリア」に入れることにした。
昨年のリサイタルでは、第47番を弾いたが、今年は、第123番を弾く。
スコアの冒頭にはソネットが掲げられている。イタリア人フルーティスト、ニコスさんに訳していただいた。
「ラウラが泣くとき 
そのあまりの美しさに 太陽は嫉妬し
山や川など自然を恐れさせる
ラウラが泣く姿はまるで神のようだ
その姿を見た全てのものたちは 沈黙し 静寂に包まれる」

この曲は、歌のバージョンでの伴奏をしたこともあるが、両方弾き比べてみると、歌のパートもすべてピアノに入れ込んでしまったピアノ曲の方に軍配があがるような気がする。ピアノという楽器の表現力を知り尽くし、ピアノを歌わせることが出来た「ピアノの巨人」リストの圧倒的存在を感じる。リストのピアニズムがこういう「歌曲の編曲もの」の中にもいかんなく発揮されている。

フランツ・リスト :「巡礼の年第2年(イタリア)」から 「ダンテを読んで ― ソナタ風幻想曲 ― 」
ほかの6曲に比べ、規模が相当大きい名曲である。ダンテの「神曲」を読んだ印象からインスピレーションを得て作曲されたが、数次の改訂を経て、1849年に完成された。
ダンテの「神曲」は、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部からなり、物語の主人公であるダンテがこれらの冥界を彷徨する一大叙事詩である。
 オクターヴで鳴らされる序奏が、地獄への門を開く。やがて眼前に繰り広げられるのは、地獄の世界。うめくようなテーマから苦悩に満ちた混沌が繰り広げられる。やがて天上から救済を思わせる調べが降りて来るが、葛藤と混沌を思わせる音楽の交錯を経て、最後は輝かしいコードによって曲は締めくくられる。

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