久元 祐子 ピアノ・リサイタル
2010 年12 月 1 日(水) 19:00 
銀座ヤマハホール
Program note  

2011.10.14
2010.12.1
2010.11.26
2010.4.6
2008.9.1
2008.4.15
2007.7.31
2006.9.30
2006.4.22
2005.9.13
2004.9.1
2003.10.29
2003.5.31
2002.11.20
2002.5.9



ベートーヴェン :アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

シューマン:アラベスク ハ長調 作品18

シューマン(リスト編曲):歌曲集《ミルテの花》 作品25-1  献呈

ショパン(リスト編曲):「6つのポーランド歌曲」より「私のいとしい人」

ショパン:ポロネーズ 変イ長調 作品53〈英雄〉

R・シュトラウス:5つのピアノ小品 作品3 から 第1曲 変ロ長調

シューベルト(R・シュトラウス編曲):クーペルヴィーザーワルツ

ベートーヴェン :ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」


<プログラム・ノート>    久元 祐子
 今年はショパン年ということで、ショパンの愛した楽器、プレイエルを使用し、全国各地でショパンを弾かせていただきました。8月に軽井沢の大賀ホールで開催された《軽井沢八月祭》では、天皇皇后両陛下にお聴きいただく、という光栄にも恵まれました。歴史的楽器から学ぶことは多く、現代ピアノで当時の音楽を蘇らせる上で、多くのことを知り、感じることができました。
 今回のリサイタルでは、ウィーンの名器、ベーゼンドルファー Model 290 Imperialを使います。伝統に育まれた現代の楽器による演奏に、そのような経験を生かすことができればと思っています。
 プログラムは、ウィーンで作曲された、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン・ソナタを軸に、それぞれのありようでベートーヴェンから影響を受け、自らの作風をつくりあげていったロマン派の作品を挟み、作風の違いや、編曲などを通じた相互関係のありようを感じていただくことにしました。編曲ものを取り上げたのは、編曲という作業においてそれぞれの作曲家が対峙する芸術をどうとらえていたか、ピアノという楽器へのアプローチの個性がよく現れていると思われるからです。
 ご来場をお待ち申し上げますとともに、率直なご感想をいただければ幸いに存じます。

    

 ルートヴッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770−1827)のアンダンテ・ファヴォリは、もともとは、《ワルトシュタイン・ソナタ》の第2楽章として作曲された。しかし、この第2楽章を入れるとどうも長すぎる、と言われたこともあり、ベートーヴェンは考え直して、改めて《ワルトシュタイン・ソナタ》の第2楽章として"Introduzione" を作曲し、今の形にした。そして、もとの第2楽章は、独立の作品《アンダンテ・ファヴォリ》として、1806年に出版された。この曲を第2楽章として、《ワルトシュタイン・ソナタ》を通して弾いてみると、やはり冗長になってしまうことは否めない。最終的な形の方が、遥かに緊張感の高い、凝縮された芸術作品になっていると思う。
 そのようなソナタとの関連を離れ、独立のピアノ作品として見ると、《アンダンテ・ファヴォリ》は、穏やかな優しさと憧れにあふれ、また底に秘めたエネルギーをも併せ持った名曲だと思う。
 ロベルト・シューマン(1810 - 56)は、ベートーヴェンを尊敬し、傾倒していた。当時ヨーロッパ中で持て囃されていたロッシーニをベートーヴェンと比較して蝶に喩え、「蝶々が鷲に出会った。鷲は、うっかり翼を動かしたら蝶々をおしつぶしてしまうので、道をゆずってやった」と記している。
 シューマンの名作、アラベスクは、1838年から翌年にかけてウィーンで作曲された。「アラベスク」は、アラビア風の唐草紋様を意味する。
 シューマンは、文筆家として多くの批評を残し、それらの中で、フレデリック・ショパン(1810 - 49)、メンデルスゾーン、ブラームスのことを高く評価した。そのような中にあって、おそらくはフランツ・リスト(1811 - 86)の作風を評価しなかった。リストのことを「演奏家として驚異的な高所に達したのに反して、作曲家としては取り残されてしまった」と評している。そう評されながら、リストは、シューマンの作品に魅力を感じたのだろう。シューマンの歌曲集の代表作『ミルテの花』作品25の第1曲「献呈 Widmung」をピアノ独奏用に編曲している。いかにもリストらしい、鍵盤上を駆け巡る華やかなパッセージも出てくるが、原曲の魅力はピアノに移し替えられていると思う。
 シューマンの評価は分かれることになったが、ショパンとリストは、ともにパリを舞台に活躍し、それぞれのありようで成功を収めた。性格や美学、作風が異なっていることを互いに意識した上で、いろいろな面で影響を与え合った。ピアノの詩人ショパンにはピアノ曲以外のジャンルは多くないが、その中の異色の作品、「6つのポーランド歌曲」を、リストはピアノ曲に編曲している。今晩はその中から「私のいとしい人」を弾かせていただく。リスト節によるショパンの歌とも言える。
 前半最後の曲はショパンの「英雄ポロネーズ」。1842年に作曲された、ショパン円熟期を代表する作品である。
 後半は、後期ドイツロマン派の巨匠、リヒャルト・シュトラウス(1864 - 1949)の小品で始めさせていただく。リスト、ワーグナーに連なると考えられているR・シュトラウスだが、作曲家人生の出発点は後の音楽家像とは遠く隔たっていた。その背景には父親の存在があった。シュトラウスの父親は、ミュンヘンのオーケストラのホルン奏者だったが、彼は極端なワーグナー嫌いであり、息子リヒャルトに、ベートーヴェンからブラームスに連なるドイツの正統的な音楽を学ばせた。そのような背景もあり、今回弾かせていただく、5つのピアノ小品 作品3 第1曲 変ロ長調をはじめ初期のピアノ作品には、ベートーヴェン、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスなどの影響が感じられる。
 そのR・シュトラウスの編曲によって、次に、フランツ・シューベルト(1797 - 1828)の「クーペルヴィーザーワルツ」
 シューベルトは生っ粋のウィーンっ子だった。ウィーンで生まれ、ピアノを弾き、音楽を教え、実らぬ恋をし、不治の病にかかり、32年にも満たない生涯をウィーンで終えた。しかし彼は孤独ではなかった。気のあった仲間同士で、歌曲や室内楽のコンサートを開いた。「シューベルティアーデ」と呼ばれたそんなコンサートで、シューベルトはよく即興でワルツを弾いたという。このワルツのスコアには楽しげなシューベルティアーデの模様が描かれている。友人であった画家クーペルヴィーザーによって描かれたもので、シューベルトがピアノの前に座り、画家やほかの仲間たちがバツゲームをして楽しんでいる。
 そのシューベルトもベートーヴェンに傾倒していた。1827年に行われたベートーヴェンの葬儀には松明を持って参加し、その翌年、ベートーヴェンの後を追うように亡くなった。シューベルトの墓碑銘には、「音楽は、ここに高貴な魂を埋める。多くの美しい希望を残して」と記されている。
 最後に、ベートーヴェンのワルトシュタイン・ソナタ。1803年から翌年にかけて作曲された、中期の作風を代表する傑作である。標題は、このソナタが後援者のフェルディナンド・フォン・ワルトシュタイン伯爵に捧げられたことから来ているが、同時にこの名前は、ドイツ語で Wald (森)と Stein (石)の合成語であり、自然に対して親しい気持ちを抱き続けたベートーヴェンの一面が反映されているとみなされてきた。第1楽章から、ドイツの田園の光景やその雰囲気からの影響を感じることも容易だろう。
 第2楽章を全面的に書き替えた、というエピソードからも窺えるように、ベートーヴェンは作曲に当たって、あるべき音楽の姿を徹底的に追究し、何度も推敲を重ねた音楽家だった。その第2楽章 introduzione (このソナタを2楽章形式と考え、introduzioneを第2楽章の前半の部分だとする考え方もある。)は、まるで暗闇の中を探っていくような音楽。探索と逡巡が続いた後、高らかに G の音が鳴らされ、最終楽章の光り輝くロンドの世界に入っていく。ピアニッシモから始まり、大きなディナーミックの変化、ドラマティックで緊張感に満ちた副主題、神秘的な和音の連続など、ベートーヴェンの魅力、エネルギー、哲学を展開しながら終末へと突き進んでいく。時空を超え、確信に満ちた音楽があふれていく、素晴らしい音楽だと思う。

*引用文献 ロベルト・シューマン『音楽と音楽家』(岩波文庫)
   

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