What's ポロネーズ?

2010 年 11 月 26 日 (金) 16:30 
国立音楽大学講堂 小ホール
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「what's ポロネーズ?」
皆さんはこの問いに、何と答えますか?
こんな漠然とした問いでは困惑してしまうかもしれませんね。では、ポロネーズにどのようなイメージをお持ちですか?
「タンタカ タッタッタッタッ」というあの特徴的なリズムを伴った、勇壮で華やかなポーランド舞曲、といったところではないでしょうか。特に、ショパンのポロネーズが真っ先に思い浮かぶという方も多いかもしれません。
しかし、今回私たちはポロネーズの歴史を辿っていくうちに、そのような「ポロネーズ」のイメージを覆す知られざる姿に出会ったのです。
私たちはそこに焦点を当て、「ポロネーズとは何か」という問いにアブローチしてきました。研究発表会では「ポロネーズ」の様々な側面を紹介いたします。

<礒山雅先生のゼミのみなさんによるプログラム・ノート>    
〜ポロネーズつてどんなもの?〜

ポロネーズは一般的に器楽作品として広く知られていますが、元々はどのような踊ノりだったのでしょうか。
 ブリタニカ国際大百科を引いてみると、「宮廷の儀式や戦士の凱旋行進から発達した集団舞踏で、…のちにほ一般の人々の婚礼の際にも演奏され、踊られるようになった。」とあります。しかし、世界大百科事典には、「…農民の歌や踊りに起源をもち、農民から小士族へ、次いで貴族や王の宮廷にまで広まったと思われる。宮廷のポロネーズは勇壮で華麗な器楽として発展した。」と記されています。
 実は、このようにポロネーズの起源や発展については諸説あり、一概に言うことはできません。しかし、宮廷で踊られたポロネーズ、農民の間で踊られたポロネーズ、器楽作品としてのポロネーズ、いずれも確かに「ポロネーズ」の姿なのです。                                           
 ポロネーズの歴史は深いので、詳しい内容は研究発表時のお楽しみとさせていただきますが、実はあの「タンタカタッタッタッタッ」という特徴的なリズムでさえ、楽曲の中で確立されたのは18世紀になってからのことです。しかし、ポロネーズは「ポロネーズ」として姿を露にする以前から、ポーランド各地で踊られていました。そのようにして、ポーランドの人々の中に脈々と生き続けてきたのです。言わば、ポーランドの民族性の象徴と言えるかもしれません。
 つまり、「ポロネーズ」の持ついくつもの顔は、ポーランドの民族性を反映した「ポーランド舞曲」というーつの輪として繋がっているのです。 

〜ポーランドの民族の生き写し〜
 では、具体的にポロネーズには、ポーランドの民族性とどのような結びつきがあるのでしょうか?
 ポーランドでは17世紀以降、貴族間の争い、近隣諸国による内政干渉、戦乱が相次ぎました。そして18世紀後半、ロシア、プロイセン、オーストリアからの、3度にわたる国家の分割を受け、ポーランド国民は祖国を失ったのです。以後、ポーランドの人々は、苦難と挫折を味わいながらも、祖国への誇りを忘れず、その思いは音楽へと強く反映されました。この時代を生きたショパンのポロネーズ作品には、独特の勇壮なリズムや、劇的で華麗な、でもどこか郷愁を帯びた響きが見られます。まさに、ポロネーズとは彼らの精神の生き写しだったのかもしれません。
 しかし、器楽作品としての初期のポロネーズには、このようなポーランドの民族性とはあまり結びつきの強くないものもあります。
〜様々なポロネーズ〜

 そもそも、「ポロネーズ」と題された器楽作品はいつ頃から現れたのでしょうか。
 印刷技術の進んだドイツのニュルンベルクで、1544年に出版されたリュート曲集の中に「Der POLNISCH TANZ(ポーランドのダンス)」という曲が含まれています。しかし、この曲は、あの特徴的なリズムを伴った現在私たちが「ポロネーズ」と聞いて連想する作風ではありません。この傾向は実はバロック期の終わりまで見られ、18世紀のJ. S.バッハやその息子W.フリーデマン・パッハなどの 「ポロネーズ」と題される作品の中にも、「これってポロネーズ?」と思うような曲があったりするのです。
 では、なぜそのような作品も「ポロネーズ」と名付けられていたのでしょうか。
 もともと「ポロネーズ」という言葉は、17世紀フランスで「ポーランド風の」と呼ぱれたところから名前が付きました。つまり、ポーランドには各地方で独特の踊りがあるにも関わらず、「ポーランド風」である作品の全てに、「ポロネーズ」という名前が与えられていたのです。そのために、当時「ポロネーズ」と名付けられた作品は、その様式がとても多彩なのです。
 この器楽作品のポロネーズは、スウェーデンやドイツ、フランスに広まり、そこから再びポーランドに入ってくるという変遷を辿りました。つまり、ポーランド以外の国の作曲家が、単にーつの音楽形式として「ポーランド的」に作った「ポロネーズ」も含まれているのです。その意味で、これらはポーランドの民族性とは深く関わりのないポロネーズと言えるでしょう。

〜定着から確立へ〜

 では、現在私たちが「ポロネーズ的」と認識している特徴は、いつ、どのようにして確立されたのでしょうか。
 古典期に入ると、貴族社会におけるポロネーズ人気に、いよいよ拍車がかかってくるようになります。舞踏会ではメインとなるワルツに並び、入場行進の曲としてポロネーズが愛されるようになりました。
 すると、このポロネーズの流行に乗り、多くの作曲家がポロネーズ作品を作り始めるようになったのです。舞踊という実用的な要素とともに、芸術的な要素を帯びたポロネーズは、人々の中に根付いていきました。そして、あの特徴的なリズムや、3拍子、上拍のないフレーズ、リズム型の反復、弱拍にアクセントを持つ女性終止などが様式化されたのです。

〜生演奏!生対談!〜 
  このように、ほんの少しポロネーズを解体してみただけでも、その奥深さをご理解いただけたのではないでしょうか。
 今回の研究発表会は、演奏も交えたカジュアルな雰囲気で行いたいと思っています。現在のところ、ショパンのポロネーズのピアノ演奏を予定しています。その他にも、礒山雅先生とゼミl生による、バッハのポロネーズを議題にした対談もあります。もしかすると、なんと舞踊の実演もあるかもしれません。
 記念すべきショパン・イヤーに相応しい内容にもなると思いますので、皆さまお誘い合わせの上、ぜひお越しください。
                                                    

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