モーツァルト:ピアノ・ソナタ K311,309.310

  Yuko HISAMOTO  CD

リリース年
2021年
2020年
2018年
2015年
2011年
2009年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2000年
1999年
CD一覧
CD批評
2009年
2007年
2005年
2004年
2003年
2000年
1999年

久元祐子 《青春のモーツァルト》ピアノ・ソナタ KV311,309.310 (2007/8/7)  


2007/8/7
コジマ録音
ALCD - 9075
定価  2500円

録音 2007年4月11日〜14日
茅野市民館

piano : Boesendorfer model 270

モーツァルト :ピアノ・ソナタ ニ長調 KV311 
モーツァルト :ピアノ・ソナタ ハ長調 KV309
ヨハン・クリスティアン・バッハ :ピアノ・ソナタ イ長調 作品17の5
モーツァルト・ピアノ・ソナタ イ短調 KV310

ピアノ:久元 祐子      
Producer : Tomoko Tsuji (Andante Favori)  
Director, Recording Engineer : Yukio Kojima  Assistant Engineer : Kaoru Tanaka
Editing : Takako Yanagisawa   Piano Tuning : Kohki Mizushima
Cover Art : Noriyoshi Sakaguchi     Cover Design : Kazuhiko Hirasawa
Booklet Editing : Izumi Sugimura
Special Thanks to Community Culture Creation Co.. Ltd.
CD批評

ジャケットの絵は、坂口紀良氏『バラのある音楽の部屋』です。
坂口先生に心より感謝申し上げます。



〜 モーツァルトの童心に触れる 〜       礒山 雅   

 心温まる、純粋なモーツァルトだ。透明な美音の戯れを楽しむうち、われわれはそこから、青春のさまざまな思いや感受性のドラマが響き出ていることに気づく。だがそれらは音楽の前に出ることなく、様式の枠内に留まって、ひそやかな味わいを発し続ける。
 名曲は、過剰な主観を交えず、作品そのものに語らせて欲しい。モーツァルトのソナタはことにそうだと、最近の私は思っている。そのためにどうしても必要なのは、楽譜への敬意である。楽譜を丹念に読み、モーツァルトの凝らした趣向を逐一把握して、演奏につなげてゆく作業−−そうした作業を久元さんほど誠実に、綿密に行う人は少ない。
 CDには、モーツァルトが青春のさなかに書いたソナタ3曲が録音されている。そこには、後期の複雑な陰影はまだ見られず、強弱の対比を基礎としたシンプルな構成が支配的である。久元さんはそうした明晰さを生かしながらも、随所に張り巡らされた対旋律に心を配り、変化に富む線的なテクスチャーを作り出す。そこからあらわれるのは、モーツァルトの純朴な遊び心であり、ユーモアである。
 モーツァルトのこうした「童心」が豊かな共感を込めて表現されているのが、久元さんの演奏のもっともすばらしいところだと、私は思う。冒頭のニ長調ソナタでは、お茶目でいたずら好きなモーツァルトの活躍が、目に浮かぶようだ。続くハ長調ソナタでも、主人公は好奇心一杯に、ファンタジーの世界を走り回っている。われわれも童心をそそられ、ひとしきり、のびやかな世界に遊ぶ。
 バッハの末息子、ヨハン・クリスチャンがモーツァルトに強い影響を与えたことは周知の通りである。CDでは2楽章から成るそのイ長調ソナタが、トリとなるイ短調ソナタの前に置かれている。久元さんによれば「フランス料理のコースで、ステーキとか赤ワイン煮込みの前の爽やかなシャーベット」だそうである。そんなクリスチャン・バッハが、ここでモーツァルトの傍らに、何と自然に寄り添っていることだろう。だがそれだけに、イ短調ソナタの厳しさと高さ、幻想の広がりもまた、リアリティをもって実感されてくる。モーツァルトをこの上なく身近にしてくれる1枚として、推奨したい。


<プログラム・ノート>    久元 祐子
◆ モーツァルト :ピアノ・ソナタ ニ長調 KV311   
  第1楽章 Allegro con spirito   第2楽章 Andante con espressione
  第3楽章 Rondeau(Allegro) 
 
 おそらくは1777年12月に、旅先のマンハイムで作曲された。
 1777年9月、21歳のモーツァルトはザルツブルクのオルガニストの職を辞し、母マリア・アンナとともに新天地を求める旅に出た。この旅は結果的には、どこの宮廷でも職にありつけず、手痛い失恋を味わい、パリでは母を亡くすという悲劇的な結末を迎えることになる。モーツァルトにとっては大きな試練の旅となるのだが、旅行の初期に立ち寄ったマンハイムでは、そのような旅の結末を知る由もなく、解放感にひたった。モーツァルトは、このマンハイム滞在中に、ハ長調 KV309 と ニ長調 KV311の2曲のピアノ・ソナタを作曲しているが、いずれも曇りのない明るさと解放感に溢れている。
 マンハイムのプファルツ選帝侯カール・テオドールの宮廷には、レベルの高さで知られたオーケストラがあり、優れたオーケストラ作品が演奏されていた。この2曲のピアノ・ソナタには、マンハイム楽派のオーケストラ作品の影響も感じられる。
 このKV311は、全体にわたって優雅な気品が感じられるが、第1楽章を弾いていると、シンフォニエッタのスタイルが随所に見られるように思う。さまざまな楽器が登場し、対話を交わしているようなやりとりが鍵盤上で行われている。フォルテとピアノの対比をまじえながら、両手をフルに使って、弦楽器や管楽器の音色や節回しのような音型をふんだんに繰り出し、多彩な響きを創り出そうとしている。そのような特徴は、動きがめまぐるしくなる展開部において著しい。
 第2楽章は、アンダンテ・コン・エスプレッショーネ、4分の2拍子。軽妙でいてしみじみとしたロンド風の音楽。テーマは柔らかく、発展可能性に富んでいるが、フォルテとピアノの対比ははじめから出てきて、全体を通じ、効果的に用いられている。テーマは現れる度に微妙に、そして大胆に変化していき、美しく移ろっていく。そして移ろいながらいつしか決然とした雰囲気に入り、トリルや休符を交えながら、ときには半音階的に動き、また、トリルを多用したりして、変幻自在な動きを見せる。
 第3楽章ロンドは、コンチェルトの色彩が強い。ピアノ・コンチェルトの終楽章そのものといってもいいような雰囲気を持っている。躍動感のあるテーマで始まり、ソロとオーケストラが掛け合ったり、オーケストラの伴奏の上にソロの華麗なパッサージが繰り広げたり、ソロからオーケストラへなめらかに受け継がれるかのような場面が次々に出てきて、まったく聴き手を飽きさせない。明らかにトゥッティ(総奏)がイメージされている華やかな音型が奏され、両手で4つずつの和音がフェルマータにより長く弾かれた後、カデンツァが始まり、アンダンテ、プレスト、アダージョとテンポもめまぐるしく変化する。再びロンド主題が戻ってくるのだが、ソロとトゥッティが挑発し合うかのように競演し、華やかに曲を閉じる。
 このソナタは、反復の仕方にもよるが、第1楽章よりも第2楽章が、第2楽章よりも第3楽章が長く、終楽章に重点があり、しかも終楽章のカデンツァをめざして進んでいく。モーツァルトはこの楽章で、これまでのピアノ・ソナタでは行わなかったような実験をしており、それは見事に成功しているように思える。

◆ モーツァルト :ピアノ・ソナタ ハ長調 KV309
  第1楽章  Allegro con spirito   第2楽章  Andante un poco adagio
  第3楽章  Rondeau:Allegretto grazioso
 
 マンハイムの宮廷にはたくさんの音楽家が召し抱えられていたが、このマンハイム音楽の中心人物がクリスティアン・カンナビッヒだった。ヴァイオリニストでフルート奏者だが、とりわけ指揮者としての名声は鳴り響いており、多くのシンフォニー、室内楽曲を作曲していた。
 モーツァルトはカンナビッヒの家でお世話になる。そしてモーツァルトがカンナビッヒの娘ローザのために作曲したのがKV309のソナタである。
 モーツァルトは、1777年11月14日づけの手紙で、「カンナビッヒ嬢のために書いたソナタは、できるだけ早く小さな紙に写させて、お姉さんに送りましょう。3日前から、ローザ嬢にソナタを教え始めました」と書き、11月29日には、「ぼくがカンナビッヒ嬢のために書いたソナタのアレグロとアンダンテをお姉さん宛に同封します。ロンドーはつぎの便で送ります。みんな一緒に送ると、重たくなりすぎるでしょう」と書き送っているから、このソナタは、この頃に作曲されたことになる。
 このKV309のソナタは、とにかくとても楽しい、明るい雰囲気を持っている。そしてこのソナタを作曲していたとき、作曲者自身も楽しげにはしゃいでいた。モーツァルトはレオポルドに次のように書き送っている。カンナビッヒ邸での馬鹿騒ぎの様子が生き生きと伝わってくるようだ。
「私こと・・・モーツァルトは、(以前にもたびたび)深夜12時に帰宅いたし、しかも、10時より前記の時刻まで、カンナビッヒの家で、カンナビッヒ、同夫人と令嬢、財務長官殿、ラム、ラング氏らの面前で、ともどもに、しばしば、しかも ― いやいやでなくて、まったく浮き浮きと、それもただただ落ちる雷、つまり、ウンコとか、クソたれとか、シリナメとかで語呂遊びをいたしましたことの罪状をここに告白いたします」(1777年11月14日)(白水社 モーツァルト書簡全集V)
 KV309の第1楽章を弾いていると、私には、カンナビッヒ邸で猥談に花を咲かせ、父親をからかっているモーツァルトの嬉々とした姿が彷彿としてくるような気がする。ストレートな喜びに満ち、楽しげな解放感に溢れている。
 この第1主題は、はじめの2小節がフォルテで、そして第3小節からピアノになり、これが5小節続く。この開始はまさにシンフォニーの開始だろう。フォルテの2小節は、オーケストラのトゥッティで、すべての楽器によって高らかに音が鳴らされる。しかしすぐに管は沈黙し、ヴァイオリンを中心とした弦楽器だけになってピアノで奏される。第一ヴァイオリンがメロディーを奏でる中、第2ヴァイオリンが伴奏を受け持つ、といったところだろうか。フォルテが2小節、ピアノが5小節というアンバランスな組み合わせは、トゥッティがすぐ終わることで、対比がむしろ強調されるという効果をねらっている。
 モーツァルトの手紙によれば、第2楽章アンダンテは、カンナビッヒの娘ローザをイメージして作曲されたという。彼女は当時15歳。とても美しく、感じのいいお嬢さんだったらしい。そして年齢のわりに非常にかしこく、落ち着いていて、真面目で、口数が少なかった、とモーツァルトは褒めちぎっている。モーツァルトは、3つの楽章の中でこのアンダンテの楽章が一番苦労するでしょう、と書き残している。それは「表情に溢れていて、譜面通りのフォルテとピアノで、趣味よく、的確に弾かなくてはなりません」とも付け加えている。この楽章は、とても愛らしいテーマに始まる二重変奏曲になっている。
 第3楽章は、優雅なロンド。一点の曇りもなく、流れるように音楽は進んで行くが、一種の茶目っ気も感じられる、微笑ましい楽章である。

◆ ヨハン・クリスティアン・バッハ :ピアノ・ソナタ イ長調 作品17の5
  第1楽章 Allegro   第2楽章 Presto

 大バッハ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、最初の妻バルバラとの間に7人の子供をもうけたが、その中で、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハとカール・フィリップ・エマヌエル・バッハとが優れた音楽家になった。ヴィルヘルム・フリーデマンは、才能に秀でていたが、放浪癖、また酒癖があったため世に出ることはなかった。これに対し、エマヌエル・バッハは28年間、フリードリッヒ大王の宮廷につとめた後、ハンブルクに赴き、テレマンのあとを継いで教会の音楽監督となった。
 二度目の妻、アンナ・マクダレーナとの間には、13人の子供が生まれ、一番下の息子であるヨハン・クリスティアン・バッハが後世に名が残る音楽家となった。彼は15歳のときに父の大バッハが亡くなると、ベルリンの兄エマヌエル・バッハの下に預けられ、その教育を受けた。ベルリンで観たイタリア・オペラの魅力に魅せられ、20歳のときにイタリアに赴く。そしてカトリックに改宗し、ミラノ大聖堂のオルガニストを7年間つとめた。その後ボローニャのマルティーニ神父のもとで作曲を勉強し、ナポリでオペラを作曲した後、1762年、イギリスに渡り、王妃シャーロットの音楽教師になった。
 彼は、ロンドンでオペラや交響曲、室内楽などを作曲し、人気のある音楽家として活躍したが、クラヴィーアのためのソナタも多数残している。ロンドンは、ピアノフォルテがもっとも早く普及した都市で、ヨハン・クリスティアン・バッハの作品5の6曲のクラヴィーア・ソナタは、当時ロンドンで流行していたスクエア型のピアノフォルテを想定して作曲された。モーツァルトは1764年から1765年に神童としてロンドンを訪れ、バッキンガム宮殿でヨハン・クリスティアン・バッハとともに国王ジョージ3世の前で演奏しているが、モーツァルトは後に彼の作品5のうちの3曲をクラヴィーア協奏曲に編曲している。
 6曲からなる作品17のクラヴィーア・ソナタは、ヨハン・クリスティアン・バッハの代表作で、1773年か1774年にロンドンで作曲された。パリのジベール社で出版され、その後、ウィーン、ロンドン、アムステルダムでも出版された人気作品である。
 1778年夏、パリで失意のどん底にあったモーツァルトは、パリ郊外のサン・ジェルマンで13年ぶりにヨハン・クリスティアン・バッハに再会しているが、モーツァルト研究家のアインシュタインは、この再会をとても重視し、おそらくモーツァルトは、クリスティアンの作品17の4を参考にして、パリで、クラヴィーア・ソナタの名作、変ロ長調KV333を作曲したと推測した。アインシュタインは、「このヨーハン・クリスティアーンのソナタの模範はつねにモーツァルトの眼前に浮んで」おり、クリスティアンの作品5の3、作品17の4とモーツァルトのKV333のソナタの冒頭の関係は、「単にメロディーの案出の相似ではなく、精神的、音楽的態度の深い、内的な類似」があると考えた。(アインシュタイン『モーツァルト その人間と作品』白水社 174頁)
 モーツァルトが KV 333のクラヴィーア・ソナタを1778年にパリで作曲したという推測は今日では否定されているが、この年にモーツァルトと再会したヨハン・クリスティアン・バッハが、自分の作品をモーツァルトに見せたかどうかは、否定も肯定もできないと思う。
 今回は、作品17の中から第5曲イ長調のソナタを弾くが、おそらくこの曲集の中でもっとも美しい作品だろう。モーツァルトへの影響といった観点を離れて、それ自体とても魅力的な音楽に仕上がっていると思う。

◆ モーツァルト・ピアノ・ソナタ イ短調 KV310
  第1楽章 Allegro maestoso
  第2楽章 Andante cantabile con espressione   第3楽章 Presto
 
 パリ郊外のサン・ジェルマンで、旧知のヨハン・クリスティアン・バッハに会っていた1778年、モーツァルトは、パリでクラヴィーア・ソナタを作曲していた。イ短調KV310である。悲劇的な雰囲気と独特の緊張感をはらんだ異色のピアノ曲として19世紀以来愛されてきた。
 自筆譜は残されていて、「1778年」とだけ記されている。モーツァルトはこのソナタについては何も書き記しておらず、作曲の目的やパリで演奏されたのかどうかなど、演奏の手がかりになるようなことは何もわかっていない。このソナタは後にパリのエーナ社から出版されているが、その出版譜は間違いの多いものだった。
 このKV310のピアノ・ソナタには、この頃のモーツァルトの心情がおそらくは色濃く投影されていると思う。かつて神童を大歓迎したパリの人々は、成人したモーツァルトには手のひらを返したように冷たかった。演奏団体コンセール・スピリチェエルに協奏交響曲を持っていってもまったく無視され、スコアを隠されたりもしたという。ド・シャボー公爵夫人のサロンでは、寒々とした部屋でさんざん待たされ、よくやく通された部屋に置いてあったピアノフォルテはとんでもないおんぼろ楽器で、しかもモーツァルトが「フィッシャーの主題による変奏曲」を弾いていた間中、女主人も客たちもデッサンを続けていたという。さらに大きな悲劇は母の死だった。陽の射さない暗い部屋でひとり過ごすことの多かった母マリア・アンナは病気になり、寂しく息を引き取った。
 このソナタの第1楽章では、冒頭から衝撃的な緊張感があたりを包む。左手で3音または4音からなる和音が1小節に8つずつ叩かれるという分厚い伴奏の上に、不安定なリズムの、それでいて決然とした旋律が登場する。第1主題の後半はピアノとなり、ハ長調となって一瞬緊張は和らぐが、すぐにまたイ短調に戻り、フォルテで冒頭の嵐が再来し、鋭いフォルテとピアノの対比によって緊張感は高まっていく。第2主題は、第1主題とよく似た左手の伴奏の上に、16分音符のパッセージがハ長調で現れ、伴奏の形は次々に変化していく。展開部は、ディナーミクの幅が広く、フォルテシモとピアニシモの間の対比の中を揺れ動く。内声部が巧みに使われ、音楽に深みを与えている。
 緊張感を孕んだ第1楽章が何のもったいもつけられずに終わると、天国的な美しさを湛えた第2楽章が続く。何かに立ち向かうかのような力強さと動きに満ちた第1楽章と打ってかわって、アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレッショーネの第2楽章は、静かな緊張感の漂う不思議な雰囲気に変わる。ここうした気分は、この提示部が繰り返されるとき、より味わい深いものとなる。しかしモーツァルトが静かに「床の揚げ蓋」(メイナード・ソロモン)を開けると、「平安を乱し、騒がせる力が吹き上げてきて」、雰囲気は暗転する。「耳に刺さるような不協和音、短調と長調をシフトしながら続く、速い容赦ない転調」などが続く。「モーツァルトはこうした混沌と崩壊」を放置はせず、やがて提示部の静かな世界が回復される。
 この偉大な第2楽章に続く終楽章は、再びイ短調に戻り、テンポは第1楽章よりも上がってプレストとなる。この楽章は、やはり疾走する音楽だろう。符点音符のロンド主題がたたみかけるように全体を覆い、喘ぐように走り抜ける。この楽章の特異な雰囲気は、バスによって生まれているところが大きいと思う。ほとんどの小節で、バスの1拍目が休止符になっている。まるで後ろから何かに追いかけられ、ほとんど地面に足を踏む暇もなく、ひたすら前へ前へと進む音楽である。

CD 2005 へ