久元 祐子 《ショパン・リサイタル》

  Yuko HISAMOTO  CD

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久元祐子《ショパン・リサイタル》 (1999/9/30)

CD・「ショパン記念年新人賞をさしあげたい。」
(レコード芸術)
・「楽想ひとつひとつの語り口の巧みさ」が
 「聴く人を引きつける。」(音楽の友)

1999/9/30
ALM records (ALCD9016)
定価(税込み) 2500円

Special thanks to Intermuse, Inc.

FREDERIC CHOPIN
・エチュード ホ長調  作品10の3 「別れの曲」
・エチュード ハ短調  作品10の12「革命」
・エチュード 変イ長調 作品25の1 「牧童」
・舟歌 嬰へ長調 作品60
・ワルツ イ短調  作品34の2
・ワルツ 変イ長調 作品69の1「別れ」
・ワルツ 変ニ長調 作品64の1 「小犬のワルツ」
・ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35「葬送」
・幻想曲  ヘ短調  作品49

ピアノ:久元 祐子
録音1999年5月8日〜9日    牧丘 文化ホール

Piano : Boesendorfer konzertflugel Model 275
Tuner : Joji Moronuki               Director, Recording Engineer : Yukio Kojima
Assistant Engineer : Yuka Shinozaki     Design : Daisuke Ueno


<プログラム・ノート>    久元 祐子

◆エチュード ホ長調  作品10の3 「別れの曲」
◆エチュード ハ短調  作品10の12「革命」
◆エチュード 変イ長調 作品25の1 「牧童」
 ピアノを弾く者にとり子供の時から馴染み深いショパンのエチュードは、まず作品10の12曲が1829年頃から書き始められ、1832年に完成、翌1833年に出版された。友人でもあったフランツ・リストに献呈されている。また、作品25の12曲は、1836年に完成、翌1837年に出版されている。こちらの方は、リストの愛人でやはりショパン自身もよく知っていたマリー・ダグー伯爵夫人に献星された。
 「別れの曲」のテーマは、ショパンが創った最も美しい旋律であると言われるが、全くそのとおりだろう。「革命」は、やはり火のように熱い音楽だと思う。ロベルト・シューマンは、「牧童」について、これは繍習曲というよりはむしろ詩である、と書いている。

◆舟歌 嬰へ長調 作品60
 舟歌―Barcarolleは、もともとはヴェネツィアのゴンドラの漕ぎ手が歌う歌で、そのリズムや雰囲気をピアノで表現した作品である。同世代の作曲家としてはメンデルスゾーンなどが、また後にはフォーレが名作を残している。
 ショパンのただ1曲の舟歌は、1845年から翌46年にかけて、ジョルジュ・サンドのノアーンの館で作曲された。サンドとの間には既に亀裂が入り、ノアーンでの作品としては、これが最後の作品となる。ヴェニスのバルカローレは本来8分の6拍子だが、ショパンはそれを8分の12拍子に変え、かなり規模の大きい、3部形式の作品にまとめている。華麗なピアニズムや官能性も感じられると同時に、息の長い美しいフレーズから生まれるしみじみとした哀感と落ち着きも併せ持つ名曲であると思う。シュトックハウゼン男爵夫人に献呈され、完成の年に出版されている。

◆ワルツ イ短調  作品34の2
◆ワルツ 変イ長調 作品69の1「別れ」
◆ワルツ 変ニ長調 作品64の1 「小犬のワルツ」
 ショパンのワルツの中から、性格の異なる、3曲を弾かせていただいた。それぞれに、あまりにも著名な作品であり、人々に愛され続けている名曲である。

◆ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35「葬送」
 このソナタは1839年、ノアーンのジョルジュ・サンドの館で作曲された。この曲を通じる悲劇的な雰囲気は、彼の病歴やそれに起因する夭折にしばしば結びつけて考えられてきたが、実際にはショパンは別に病に臥せっていたわけではない。ショパンは精神的な安定期にあり、サンドとともに充実した毎日を送っていた。この曲はよく知られているように、かなり自由な形式で書かれたピアノ・ソナタである。だからといって、自由でファンタジックな楽章を組み合わせ、あてどのない幻想の中をさまよう音楽ではない。このソナタは、一見夢想的な装いをまとっているようでいて、実はとても冴えた、ある方向性を持った音楽なのではないかという気がする。
 第1楽章グラーヴェ―ドッピオ・ムーヴィメントは、苦悩にあえぐような4小節の導入部で開始され、「2倍の速さで」というテンポ指示による主題提示部に入る。狂乱状態のアレグロといってよく、それは、何かと闘いながら、しかしひたすら何者かに追い立てられ、逃走する音楽だろう。コラ−ル風の一見平穏な第2主題も、底知れぬエネルギーを秘めているように思える。第2楽章スケルツォ、プレスト・マ・ノン・トロッポは、まるで死に神がタクトを取っているかのようなワルツ。悪魔的な雰囲気の中で、ひたすら踊り進んでゆく。ピュー・レントの中間部も妖しい美しさを湛える。第3楽章の有名な葬送行進曲、レント。その中間部は単に美しく、夢想的なのではない。ハンマーが弦を打った瞬間から音が減衰していくというピアノの特性を知り尽くした上で、最小限の音で表現できるぎりぎりの世界である。そして、あまりにも多くの言葉によって語られ尽くした、驚くべき終楽章が来る。崩れてゆきながら走り去っていく音楽、そしてその後には何も残らないかのような虚無を残して、この曲は全体を閉じる。この音楽は明らかに一つの終局を目指して疾走するが、それはある目標に至る道筋を指し示すのではない。そうではなく、逆に後ろへ後ろへと後ずさりしていく、疾走しながら後ずさりしていく、そのような音楽だと思う。
 ショパンはこのソナタを作曲したとき、約40前に作曲されたベートーヴェンの「葬送」ソナタを意識していたことは間違いないと思う。しかし、形式的な類似とは裏腹に、その音楽的な内容は何とかけ離れていることだろう。同じ葬送行進曲で書かれた第3楽章の中間部も、ベートーヴェンの場合にはショパンとは対照的に、打ち鳴らされる太鼓の連打音、英雄の死を悼むかのような号砲など荘重な魂の高揚を歌い上げる。そして、そのような部分的な違い以上に異なっているのが、ソナタ全体の音楽の流れである。ベートーヴェンの音楽は、幸福への問いかけとも言うべきテーマが、次第にエネルギーを得て発展し、悲劇的なエピソードを克服しつつ、ドイツの田園に降る雨があらゆる悲しみを洗い流してきらきらと輝くかのように、明るさの中で曲を閉じる。それはショパンとは全く逆の方向を向いた、肯定的な世界観である。
 このソナタは、作曲の翌年、1840年に出版された。その音楽的な内容は、同世代の人々に理解できたのだろうか。ロベルト・シューマンは、このソナタについてまとまった批評を残しているが、第3楽章の葬送行進曲について、「ここには、耳ざわりなものがたくさんある。このかわりに変ニ長調か何かのアダージョでも置いたら、比較にならないほど美しい効果があがったことだろう」と、ひどく的外れな指摘をしている。
 
◆幻想曲 ヘ短調 作品49
 幻想曲というタイトルを持った作品は、ショパンは1曲だけしか残していない。1841年に作曲され、翌年に出版された。スウゾー公爵夫人に献呈されている。この時期ショパンは、ノアーンでジョルジュ・サンドと幸福な日々を送っていた。そうしたこともあり、この作品にはショパンの気力の充実が反映しているといった説明が解説書などで書かれていたり、サンドといさかいをおこしたショバンがやがて仲なおりをするまでを描いたものだ、というエピソードも伝えられているが、果たしてそうだろうか。
 この曲は確かにショパンの作品の中でも傑作に属すると思う。しかし、この幻想曲を弾いていると、ショパンの横溢せんばかりの創作力の漲りを感じるというよりは、むしろどこか否定的なものを感じる。あえて言えば「死」のイメージ、無の意識のようなものである。それは、この曲の少し前に作曲された「葬送ソナタ」にも通じるものであり、この2曲は、形式の違いを超えて、音楽の内容の面で共通点が多いように思えるのである。葬送行進曲のリズム、葬送ソナタのフィナーレを思い起こす風のようなパッセージ、遠くの教会から聞こえて来るかのようなコラール、斃れた英雄の栄誉を称えるかのような力強いマーチなどが次々に出現する。

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