CD 批評 (2000 - 1999)

  Yuko HISAMOTO  CD

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久元祐子 「テレーゼ」「ワルトシュタイン」 (2000/11/28)

・ブリーズ  (2001年2月15日号)(関係部分)
こだわりのこのディスク  
前年度末にリリースされたCDの中で今回取り上げたいのは、次の3枚のディスクだ。
・・・
2枚目のディスクは、久元 祐子のピアノによるベートーヴェン:「テレーゼ」「ワルトシュタイン」。
久元は音楽を巡る現代文化論やモーツァルト論などすでに数冊の著書を公刊している才媛。
CDには上記2曲のほかに、バスの戸山俊樹を迎えての「ゲレルトの詩による6つの歌曲」や「アンダンテ・ファヴォリ」なども入っている。どうして他のピアノ曲を入れずに歌曲を入れたのかはわからないが、どの曲にも共通してしっとりとした抒情や温かさが備わっているためか、こうした選曲も別段気にはならない。
久元の音質は輝かしく華やかだが、テンポは落ち着いており、全体として知的だ。こうした特徴が「テレーゼ」のなかではこの曲に対する彼女の愛情を、「ワルトシュタイン」のなかでは彼女の自信を人々に印象づけているように見える。(高橋 陽一郎)
・グラモフォン  (2001年1月号)(関係部分)
最高のベートーヴェン演奏  
知性的でエレガントな演奏によって、魅力的なディスクとなっている。ベートーヴェンの対照的なソナタ2曲に加えて、小品と歌曲もいくつか収録されている。
そのなかの「アンダンテ・ファヴォリ」は、もともと「ヴァルトシュタイン・ソナタ」の緩徐楽章に構想されていたものだが、曲が長くなりすぎるという理由で採用されなかった。ゆったりとしたテンポの変奏曲だ。
久元の演奏は、全体を通じてすばらしい。リリカルな演奏は極上で、テクニックの見事さでもわくわくさせてくれる。しかも、それを見せびらかすようなことがない。精妙なタッチがすべて聞こえてくる。和音の出し方も傑出しており、洗練されたルバートとフレージングがすばらしい。
どこからどう考えても、最高のベートーヴェン演奏だ。絶対に聴いてもらいたいディスクだ。
(Heuwell Tircuit)
・レコード芸術  (2001年1月号)
日常的な場において真価を表わすベートーヴェン  
先に一枚ショパンのアルバムを出している久元祐子は文筆の面でも才能を発揮しており、モーツァルトに関するものや、「都市と音楽」といったテーマの著作を発表している。
ここに聴くべートーヴェンのアルバムにも、ただ無邪気に楽器を鳴らす音楽家たちとは確かにひと味違った、省察の深さが感じ取れることを、まず言わねばならない。
使用ピアノはべーゼンドルファー・インペリアルであるが、楽器固有の持ち味を己の個性となじませながら、含蓄のある響きを彼女は抽き出している。演奏ぶりも、基本的な技術をしっかりと身につけながら、技巧の誇示にはけっして走らず、音楽にこもる本質を、優しく着実に紡いでゆく、といった趣で、すこぶる好感が持てる。
《ワルトシュタイン)が主軸となるが、ほかの選曲が《テレーゼ》《アンダンテ・ファヴォリ》《エリーゼのために》そして、バスの戸山俊樹を招いての《ゲレルトの詩による六つの歌》であることは、当CDの意図を、そして雰囲気を決定づける。
すなわち、支配者・ヴィルトゥオーゾと、被支配者・聴衆のたむろする音楽会場ではなく、もっと日常的な場において真価を表わすベートーヴェンを、このピアニストは世に問おうとするのであろう。
"スターづくり"の競争とはまったくべつな次元に身を置こうとする人の、注視・傾聴に値する世界がここにある ― もし私の誤解でなければ。 (濱田 滋)
・産経新聞・夕刊  (2000年12月22日)
ベートーヴェン・個人的に好きな曲を中心に   ―録音の現場から ―  
モーツァルトの研究家として知られ、ユニークなレクチャー・コンサートなどで多くのファンを持つピアニストの久元祐子が前回のショパン・アルバムに続いて、今度はベートーベンのアルバムをリリースした。一夜のリサイタルのような選曲と話すが、そこはどうして”久元流”。一枚のアルバムの中には「憧れ」から「祈り」、そして「再生」へと続くテーマがちゃんと設定されている。

・・・前回のアルバムはショパンでしたが、今回はベートーベンとなりました。
 個人的に好きな曲を中心にしていますが、アルバム1枚にちょうどリサイタルの一夜のプログラムを入れてみたという感じです。

・・・となると、ソナタの第21番「ワルトシュタイン」がメーンということになりますか。
 そうですね。アルバムの組立としては、最初は”憧れ”で始めたかった。それで1曲目に「テレーゼ」を選びました。ちょうど恋文の出だしみたいな感じなんです。次が”祈り”で、「ゲレルトの詩による6つの歌曲」という曲を持ってきたんです。あまり演奏される機会がないんですが、とてもいい曲で、ベートーヴェンが最初に神を意識したころの作品です。バス歌手の戸山俊樹さんに来ていただき、私が伴奏しています。

・・・最後のテーマは何になりますか。
 最後の「ワルトシュタイン」は”再生”という意味でとらえました。「ワルトシュタイン」との関連では、今回は「アンダンテ・ファヴォリ」も入れています。この曲は元々が「ワルトシュタイン」の第2楽章のために作曲されたものなんです。ただ、全体を通してみると長すぎるということで第2楽章は今の形に落ち着きました。今回は”元の第2楽章”も聴いてもらいたくて。

・・・最後が「エリーゼのために」。これはアンコール曲という感じですね。
  ただ、これにもちょっとこだわりがあります。エリーゼというのは、最初は「テレーゼ」と書かれたものから「TH」の文字が抜けて「エリーゼ」と呼ばれるようになったのではないかといわれていますよね。それでそのあたりの関連性を持たせてみました。
 
・日本経済新聞・夕刊  (2000年12月5日)
知性の勝利   ― 聴く・見る ―  
久元は東京芸大出身の中堅ピアニストだが、モーツァルト解釈や文化論の著作、ホームページを通じた啓発活動などアカデミズムの枠を超えて活躍する。
 このベートーヴェン作品集もソナタ第24番「テレーゼ」、小品の「アンダンテ・ファヴォリ」、戸山俊樹のバス独唱を得た「ゲレルトの詩による6つの歌曲」、ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、最後に再び小品の「エリーゼのために」と、普通では考えつかないしゃれた選曲に感心する。
 演奏もちょっとしたフレーズの意味付け、和音の響かせ方にも確かな視点を示し、しっとりとした味わいに富む。名盤ひしめく中、久元なりの個性を刻むことに成功したのは、ひとえに知性の勝利だ。
 発売=コジマ録音。   (卓)

久元祐子 ショパン・リサイタル (1999/9/30)

・音楽の友  (99年12月号)
 久元祐子は、単なるピアニストではなく、音楽を幅広い視野から見つめ、考えている音楽家であるといえる。
 いかにしたら自分の言いたいことを聴く人にわかってもらえるかを常に考えて演奏しているのが今回のショパンの演奏にもよく表れている。
 それは楽想ひとつひとつの語り口の巧みさにも出ており、聴く人を引きつける。
 (渡邊 學而)
・レコード芸術  (99年12月号)
 東京芸術大学と同大学院で学んだ久元祐子のCDデビュー盤は、もちろん記念年を意識してのことだろうが「ショパン・リサイタル」。3曲の練習曲、舟歌、ワルツ3曲の後にピアノ・ソナタ第2番《葬送》を置く。録音は1999年5月。
 優れたショパンだと思う。今月の発見の一つである。ブックレットで得た知識だが、久元はこれまでも執筆活動で多くの賞を受けているようで、たんなるピアノ弾きではない幅広い活動を行っているようだが、そのことは一応別にして、この演奏は”音楽表現”として高い完成度を持っている。
 このことはもちろんテクニツクについての評価を含むが、作品の理解にも言えることだ。ショパンの音楽の様式、そして弾かれているそれぞれの曲のメッセージを見事に”書かれた楽譜”の枠内で消化した演奏である。そこには演秦家としてのいわゆる自己顕示的な姿勢はなく、好感が持てるし、なによりも将来に向かっての大きな期待を抱かせる。もしこんなものがあれば「ショパン記念年新人賞」をさしあげたい。
 なぜ「推薦」としないか、と問われればたとえば些細なことだが、第2番ソナタの第2楽章スケルツォの最後の3つの単音、これが”意味”を担っていない、と言えば酷だろうか。そこまで読むのが〃”いまショパンを世に問うことの意味”だと思うし、久元はそれを分かっていると思う。(武田 明倫)

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