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T 次の文章は、ウィーン原典版「モーツァルト ピアノ・ソナタ集」の序文である。この文章を読み、以下の問に答えなさい。
Beside his variations, concertos and violin sonatas, Mozart's piano sonatas form the core of his work for his favourite instrument, which he also mastered as a performing musician with a level of perfection which was greatly admired in his time.
The popular idea that Mozart wrote 18 piano sonatas is certainly just as misguided as the numbers given for Beethoven's (32) or for Haydn's (52) piano sonatas. In actual fact, several of Mozart's earlier works are proved to have been lost, although they still existed in the period around 1800; today only a few sketched incipits remain to testify to their erstwhile existence. The possibility that other works, (particularly from the time before (a)the composer's move to Vienna in 1782) have been lost without trace cannot be ruled out, since not all the piano sonatas mentioned in Mozart's family correspondence can be unequivocally matched with the preserved compositions. Further problems emerge due to the fact that many of Mozart's works were begun but not finished, and owing to their (even at the time) considerable market value they appeared in print after his death, along with additions which were sometimes more, sometimes less successful, though they were certainly well-meaning. In addition,
b)we have some works whose content is unquestionably genuine but whose authorisation and reliability can no longer be checked owing to the loss of the original sources.

(参考) incipit :冒頭の部分  erstwhile :以前には   unequivocally:明白に

1)上の文章も参考にしながら、モーツァルトの作品に関する次のそれぞれの説明が正しいものには○、誤っているものには、×をつけなさい。

(  )モーツァルトは、現代風に言えば、優れたピアニストであり、演奏家と作曲家としての存在が分かちがたく結びついた存在だった。
(  )原典版は、後世の人による根拠のない補充や改作を排し、モーツァルトが残した自筆譜やモーツァルト自身が関わったと考えられる出版譜をもとにして、モーツァルトの意図をできる限り忠実に反映しようという編集方針でつくられている。
(  )ベートーヴェンは32曲の、またハイドンは52曲のピアノ・ソナタを作曲したことは疑いがない。
(  )モーツァルトと家族などとの書簡を読むと、今日伝えられていないが、間違いなくモーツァルトが作曲したピアノ・ソナタが存在した。
(  )モーツァルトの名声は死後に急速に高まったが、生前は全く無名であり、貧困にあえいでいたので、モーツァルトの作品には誰も見向きもしなかった。
(  )モーツァルトは完璧を目指した天才作曲だったので、シューベルトのように未完成の作品は残さなかった。
(  )モーツァルトの死後、自筆譜などの空白などを補う目的で、さまざまな校訂者が補筆した楽譜が出版されたが、それらは、モーツァルトと直接面識があった人物によるものであっても、モーツァルトの意図を正しく伝えてはいないものも多い。
(  )モーツァルトの同時代の人々はモーツァルトの芸術の真価を理解できなかったので、モーツァルトの素晴らしい演奏が賞賛されることはまれであった。
(  )ニ短調の幻想曲のように、モーツァルトが未完のままに残した作品であっても、後世の人の補充によるスコアが出版されて、今日盛んに演奏されている作品もある。
(  )ウィーン原典版の表紙は青い。



2)下線部a)の出来事が起きた背景の説明として、次の文章の中から、ふさわしくないものを、二つ挙げなさい。
  (  ) (  )

@モーツァルトはザルツブルクで生まれたが、ザルツブルクの支配者、コロレド大司教とはかねてより折り合いが悪く、とうとうウィーンで大げんかをしてしまった。
Aウィーンには、モーツァルトが尊敬する大バッハ、そしてその息子のヨハン・クリスティアン・バッハが住んでいた。
Bモーツァルトはオペラ作曲家としての活動を望んでいたが、ザルツブルクには本格的なオペラ劇場はなかったのに対し、ウィーンには大規模なオペラ劇場があり、活躍の舞台があった。
Cウィーンは皇帝、貴族から市民まで幅広い音楽愛好家がいて、コンサート活動が成り立つ土壌があった。
Dザルツブルクには、モーツァルトのライバル、ヨーゼフ・ハイドンが居て、モーツァルトの演奏活動を執拗に妨害した。
Eウィーンはハプスブルク帝国の首都で、皇帝ヨーゼフ2世は、大の音楽愛好家であった。
Fモーツァルトは、幼少の頃からしばしばウィーンを訪れており、それなりの人脈を持っていた。

3)下線部b)を訳しなさい。(逐語訳でなくともよい。)


U 次の@〜Iの文章の内容が年代順に正しく並べられているのは、a〜eのうちどれか、( )に答を書きなさい。

a. @→B→H→A→G→I→D→C→E→F
b. H→C→@→D→F→E→G→B→A→I
c. C→H→@→D→E→B→F→I→G→A
d. B→D→A→@→E→G→C→F→I→H
e. B→D→H→A→@→C→E→F→I→G

@ドメニコ・スカルラッティがナポリで生まれた。
Aパリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し、フランス革命が始まった。
Bモーツァルトがウィーンに移り住んで作曲・演奏活動を始めた。
C徳川綱吉が「生類憐れみの令」を出した。
Dフィレンツェでピアノの前身となる画期的な楽器が発明された。
Eモーツァルトが生まれた。そしてこの年に7年戦争が始まり、オーストリアとプロイセンが戦端を開いた。
Fバッハが、ジルバーマン制作のピアノフォルテを、プロイセンのフリードリヒ大王の前で演奏した。
Gコロレド伯爵がザルツブルクの大司教になり、それまでの放漫財政を改め、音楽の分野でも効率化を図ろうとした。
Hチェンバロがヨーロッパの各地で使われるようになった。
Iベートーヴェンが亡くなり、シューベルトが松明を掲げて葬儀に参加した。


V モーツァルトのピアノ・ソナタ ヘ長調KV332第2楽章のスコアの中から、自筆譜にはないが、初版譜にはつけられている装飾を探し、同様の音型をモーツァルトのほかの作品に中から探して、KV332の装飾を参考にしながら、自分なりの装飾を記しなさい。
 (この問題用紙の答案と一緒に、別紙として提出すること。)

W 次のスコアの曲名を書きなさい。また、自分なりのディナーミクなど解釈を書き込みなさい。(運指は不要。)
 以下略



【解答】
T 1) 順番に、○ ○ × ○ × × ○ × ○ ×
   2) (A ) (D) 
   3) その内容は疑いもなく本物であるが、オリジナル資料がないためにその信憑性や確実性をもはや突き止めること   ができない曲も、若干ある。(日本語版より)
U ( b )
V W 解答略


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