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- パリ再訪
- フランドルを回ったモーツァルト一家は、デン・ハークからアムステルダム、ユトレヒト、ロッテルダム、アントワープ、ブリュッセルなどのごく短期間ずつ滞在しながら旅行を続け、5月10日にパリの戻ってきました。
モーツァルト一家は、ふたたびヴェルサイユ(左の絵)にも滞在したようですが、その目的や様子はよくわかっていません。
おそらくまたヴェルサイユ宮殿を訪ねて国王に拝謁したと言うこともなかったようです。
ヴェルサイユ宮殿は、壮麗な建物として知られますが、トイレがなかったとか、台所も不潔きわまりなかったとか、意外なエピソードも伝えられています。
- パリのモーツァルト
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モーツァルトがふたたびパリを訪れるのは、12年後のことになります。このときのパリ訪問は、モーツァルトにとって辛い経験になりました。
これに対し、少年時代のパリ訪問は大成功で、多くの伝記では、モーツァルトの訪問によってパリ中は異様な興奮の坩堝と化したように書かれています。しかし、ヴェルサイユの宮廷での国王ルイ15世との会食にしてもレオポルドがザルツブルクの家主ハーゲナウアーに宛てた手紙に書かれているだけで、公式の資料は何も残っていません。
1760年代のパリは、音楽家も聴衆もその水準はヨーロッパで最高であり、併せてジャン・ジャック・ルソー(右の肖像画)などの啓蒙思想家やインテリが多彩な音楽理論を発表し、論争していた芸術都市でした。
このような大都会にやってきて、神童ヴォルフガングが天才的な妙技を披露したとしても、それは一時人々の話題になったに過ぎないのであり、パリの楽壇に何か新しいものをつけ加えたというわけではなかったのかもしれません。
数々の音楽家たちが海外から入れ替わり立ち替わり訪れていた当時のパリにあって、モーツァルトの名前がその後も人々の記憶に留められた、という可能性は少なかったのではないでしょうか。
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