リ ン ツ 2

1783.10.30 - 11.29

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
モーツァルトの旅 4
ウィーン 4
ザルツブルク 11
リ ン ツ
ウィーン 5
地 図
プ ラ ハ 1
ウィーン 6
プ ラ ハ 2
ウィーン 7
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プ ラ ハ 3
ウィーン 11
トゥーン伯爵
ザルツブルクを後にしたモーツァルト夫妻は、ランバッハを経て、1783年10月31日、リンツに到着しました。
リンツでは、ウィーンでの後援者であるヴィルヘルミーネ・トゥーン伯爵夫人の父親、フランツ・ヨーゼフ・トゥーン伯爵がモーツァルト夫妻を歓待してくれました。トゥーン家とは、モーツァルトは神童時代からの知り合いでした。

「ぼくらはきのうの朝9時、当地に無事着きました。最初の日は、フェックラブルックに泊まりまし た。翌朝、午前中にランバッハに到着、ちょうどミサに間に合って、オルガンで「アニュス・デイ」 の伴奏をしました。修道院長さん[アマント・シックマイヤー}はぽくに再会したことをとても喜んでく れました。……ぼくらはそこでまる一日を過ごして、ぼくはオルガンとクラヴィコードの両方を弾き ました。噂によると、翌日、エーペルスブルクの行政官シュトイラー氏の邸で、オペラが上演され リンツのほとんどすべての人たちがそこに集まるとのことでした。
 そこでぽくも行こうと決心して、出かけて行きました。若いトゥーン伯爵(ヴィーンのトゥーン家の兄弟)がすぐに会いに来て、父伯爵が2週間もぽくを待ちわびていたというのです。それでぼくはもう まっすぐ父親の家へ向かいました。というのも、ぽくに宿泊してほしいというわけです。ぼくはある 宿屋にすでに泊まることになっていると言いました。
 翌日、ぼくらがリンツの門に着くと、一人の従僕がすでに待っていて、老伯爵のところへ送り届け てくれました。そこでいま、ぼくらは泊まっているというわけです。この家で、ぼくらがどんなに歓待されているか、とてもお伝えできないほどです。
 11月4日、火曜日、ぽくはここの劇場で演奏会を開きます。そして、ぽくは1曲もシンフォニー を持参していないので、大至急、新しい曲を書きます。その日までに完成しなくてはなりません。さ て終わりにしないといけません。もちろん仕事をしなくてはならないので」

この手紙に出てくるシンフォニーが、交響曲第36番ハ長調 KV425《リンツ》です。僅か4日間で完成されたことになります。モーツァルトはこの地で、《リンツ・シンフォニー》に続いて、ピアノ・ソナタの最高峰、変ロ長調 KV333を作曲しています。27歳のモーツァルトは、円熟した巨匠の域に到達したように思えます。
緩徐楽章にトランペットとティンパニ
ニール・ザスロウ(左の写真)は、《リンツ・シンフォニー》について、次のように評している。

「アダージョの冒頭で、気高い二重付点のリズムが鳴り響いた瞬間、聴き手はモーツァルト晩年の傑作がもつ音楽の世界に、たちまち入り込んでしまう。ウィーンの芸術上の自由、この都の傑出したオーケストラ奏者たちとの共同作業、ピアノ・コンチェルトや《後宮からの誘拐》で培ったオーケストレーションの経験、シンフォニー一般に対する真剣さを加えたアプローチが、《リンツ》シンフォニーとなって結実したことは明らかである。スケールの大きな第1楽章は、完璧に均衡のとれた形式をもち、オーケストレーションの技巧を尽くしており、急いで作曲されたという様子を微塵も見せない」

また、ザスロウは、この曲の第2楽章で、トランペットとティンパニが使われていることに注目しています。
「ベートーヴェンやシューベルトの最初期シンフォニーの上に歴然とハイドンの精神が漂っているとすれば、それらの作品は、モーツァルトのシンフォニーのなんらかの面からも影響を受けていたと証明できる。例えばベートーヴェンは明らかに、K425の緩やかな序奏を、1795年に作曲したハ長調シンフォニーの序奏の手本とした。このシンフォニーは未完成に終わったが、同じハ長調をとる第1シンフォニーのための練習台として役立った。アンダンテも、ベートーヴェンに影響を与えた可能性がある。通常緩徐楽章では使われず、またへ長調の作品では一度も使用されたことのなかったトランペットとティンパニをこの楽章に投入することによって、モーツァルトは、さもなくば単に優雅なカンティレーナだったかもしれないものを、ほとんど黙示的な強烈さを垣間見せる楽章へと変化させた。1799年から1800年にかけて、ベートーヴェンが第1シンフォニーのアンダンテ楽章に、同じ調性、同じ手法でトランペットとティンパニを使おうと決心したとき、モーツァルトのこの楽章のもつ効果に注目したことは明らかである。ヨーゼフ・ハイドンは、モーツァルトより早い時期に、シンフォニーの緩徐楽章でトランペットとティンパニを使用することを試みていたが、おそらくベートーヴェンは、そのことを知らなかった。一般的には、それはなお、古典派のシンフォニーではめったに使用されない特殊効果であり続けた」
(ニール・ザスロウ『モーツァルトのシンフォニー』191−192頁)

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