Yuko HISAMOTO

           久元 祐子 著書 書評
  • 名器から生まれた名曲Aショパンとプレイエル・ピアノ
  • 名器から生まれた名曲@モーツァルトとヴァルター・ピアノ
  • 「原典版」で弾きたい! モーツァルトのピアノ・ソナタ
  • 作曲家ダイジェスト ショパン
  • モーツァルトのピアノ音楽研究
  • 作曲家別演奏法U モーツァルト
  • 作曲者別ピアノ演奏法
  • モーツァルトー18世紀ミュージシャンの青春
  • モーツァルトはどう弾いたか
  • モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪
 

《モーツァルトはどう弾いたか》 丸善出版

「モーツァルトはどう弾いたか」

<プロローグ>
第1章  ウィーン・デビュー
第2章  クラヴィーア
第3章  トルコ行進曲をめぐって
第4章  サロンの音楽
第5章  ローザのためのピアノ・ソナタ
第6章  即興
第7章  コンサートの再現
<エピローグ>   モーツァルトを弾く


」を「」に

(2000年6月刊行)


世界と日本 (平成12年11月20日)
 ピアニストであり、モーツァルトの研究書など執筆活動も行っている久元祐子さんの「モーツァルトはどう弾いたか」(丸善ブックス)を読んだ。彼女にはすでに「モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪〜天才と同時代人たち〜」(音楽之友社)という著作もある。私はこれもすでに読んでいるが、率直に言って、大きな題を掲げ、相当に力んでいるなという印象を受けた。今回は、前作の自信に裏付けされているからだろうか、あるいは前作が出版されると同時にこの本を世に問いたくて仕方がなかったのだろうか、理路整然とした手法による問題の解決がなされていてとてもわかりやすかった。
 たとえば、誰もが知っている「トルコ行進曲」についての考察である。正確にはピアノ・ソナタK331の第3楽章であるが、意外に手がかりが少なく、作曲時期や場所についてはさまざまな議論が行われてきた。彼女は、東洋的なリズムの特徴から、モーツァルトがザルツブルクを飛び出してヴィーンに住みつき、最初のオペラ「後宮からの逃走」を作曲した事情と重ね合わせ、この曲はパリでなく、ヴィーン作曲されたとの説を後押ししている。また、当時の演奏慣行からモーツァルトが弾いたテンポを想像するなど、研究者も学者も出来ないピアニストにだけ許される”ピアノを弾く”という特権を有効に使いながらの語り口はなかなかの説得力がある。
 久元さんは現役のピアニストであるにもかかわらず、モーツァルトに関するものであれば、文献、書籍、楽譜と、ありとあらゆるものの中から、研究材料を探り出し、それがピアニストとしての演奏行為、音楽の再現に一寸でも引っかかると、とことん納得のいくものを目指し、問題の解決に当たろうとする。思うに、旧来から伝統的に弾かれてきたフレーズや、一寸した休止符の扱いにしても、彼女自身の中に何か疑問が生じたときに、心のどこかにしこりとなって残るのであろう。そのしこり、疑問点を、学者の研究論文を初め、文献のサポートを得ながら、こうある方が正しいのではないか、こう弾いた方がより美しく、モーツァルトの意図した音楽にあっているのではないかと試行錯誤した上で、最終的に自分はこう考える、こう弾きたいと自分の主張をはっきりと言っていることが注目される。新しい発言を行うということは、かなりの摩擦を覚悟せねばならず、勇気のいることであろうが、そこが本書を興味深いものにしていると思う。決して興味半分やおもしろ半分に読み通すことは出来ないが、他のなにものからも得られない貴重な示唆に富み、モーツァルト好きを自認する方には一読をお奨めする。
 また新しい試みとして、彼女が文中で解説しているフレーズをインターネットを使い、彼女自身のピアノで聴くことができ、よりわかりやすく理解してもらうことにも力を入れていることなど、彼女自身のモーツァルトへの愛をのぞき見る思いがする。数多くのピアノの名作を残した作曲家は、同時に優れた鍵盤(けんばん)奏者であった。残された手紙や当時の楽器の特性などを手がかりに演奏家としてのモーツァルト像を探り、かなり速いテンポで正確に弾いたと想像する。ピアニストの著者自らが取り上げた作品をインターネット上で披露する試みも面白い。
(森治夫・山の上ホテル会長)
日本経済新聞 (平成12年9月5日) BOOK
 数多くのピアノの名作を残した作曲家は、同時に優れた鍵盤(けんばん)奏者であった。残された手紙や当時の楽器の特性などを手がかりに演奏家としてのモーツァルト像を探り、かなり速いテンポで正確に弾いたと想像する。ピアニストの著者自らが取り上げた作品をインターネット上で披露する試みも面白い。
毎日新聞 (平成12年8月16日)企画特集 ブックウォッチング
  《トルコ行進曲》の速度指定はあり、アレグレット(やや快速に)である。しかし、モーツァルト自身が想定したテンポの範囲とはどんなものだったのか。天才の残した手紙や当時の楽器、演奏慣行などを詳しく研究。ピアニストの視線で彼の人間像や作品像、音楽観や演奏方法に迫る。参考に著書の演奏が丸善出版事業部のホームページで聴けるのも楽しい。
音楽の友 (平成12年9月号)新刊書評
 演奏家にとって、作曲家が楽曲をどのようにイメージしていたかは常に最大の関心事であるはず。もちろん解釈自体はさまざまあって当然なのだが、確信をもってその解釈に至るための「自分なりの」根拠を求めて奏者はそれぞれ苦心することになる。良心的な演奏家であればあるほど、その検証作業が徹底したものにならざるを得ないのは自明の理だろう。
 本書の内容は音楽「学」の立場からでなく、あくまで演奏家サイドからの自然な欲求として結実した成果だという点に大きな意味がある。「どうしてそう弾くのが正しいと思えるのか?」という自問目答を解決するための手がかりとして、現役の中堅ピアニストで、すでに「モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪」という著作もある著者は文献や書簡、”伝統的”演奏法、当時の楽器探訪などを経た上でさまざまな実際的考察へと発展させていく。ところどころに挿入される現実のエピソード(仙台で弾いた《トルコ行進曲》のテンポをめぐって、アンケートで不勉強だとクレームをつけた聴衆の意見に答える形で述べられる見解は説得力のあるものだ)も興味深く、解釈という行為に対する彼女の誠実な姿勢は、音楽を学ぶ者のみならず一般の音楽愛好家にも充分なリアリティをもって迫ってくるに違いない。
 さらに特筆すべきは、副題の通りインターネットにアクセスできれば、本の内容に沿って著者の弾く演奏例がそのまま聴けてしまうという仕組みが構築されていること。少し前にヴィジュアル本のコードを特殊なリーダーで読みとって音を聴かせる試みが話題になったことがあるが、ここまで来ると十年ひと昔を感じさせるインタラクティヴ(双方向性)環境の進化ぶりを否が応でも実感させられる。音質や曲数の制約はあるものの、これなら時間や場所を選ばずにレクチャー・コンサートが受けられるのと同等の効果が生まれるわけだ。痒いところに手の届く、見事なプロの仕事と言っていい。(吉村 渓)
サンデー毎日 (平成12年7月23日号)読みどき 旬どき
 職業音楽家が作曲家であると同時に演奏家でもあった時代、モーツァルトはいったいどんなふうにピアノを弾いたか? モーツァルトを中心に演奏活動を続ける著者が、ピアニストの視点から大音楽家に迫る。なお、著者自身の演奏がインターネットで聴ける。
ショパン (平成12年8月号)News Around The News
  「モーツァルトは、いったいどんな演奏をしていたのだろう」。その疑問が執筆の動機だったと、著者の久元祐子さんは『まえかき』で述べている。ウィーン・デビューのころから晩年にいたるまでのモーツァルトの生涯を追い、コンサートの記録やモーツァルト本人の手紙などを通してその演奏を浮かび上がらせようという試み。
 曲のことばかりでなく、モーツァルトが愛用した楽器等についても細かく触れられているのも魅力だ。モーツァルトの持つ決して上品とはいえない面も包み隠さずに伝えることで、〈人間〉モーツァルトの姿が生き生きと立ち上がってくる。また、合間には著者自身のモーツァルトにまつわる思い出や考察がはさまれ、物語がひときわ立体的になっている。なお、中に登場する曲のうち17曲を、著者の演奏によりインターネットで聴くことができる。
モーストリー・クラシック (平成12年8月号)
 インターネット時代を先取り。モーツァルトを徹底分析したレクチャー・コンサートのような研究書

 モーツァルト・プレイズ・モーツァルト。もし、こんなCDが存在したら、現代に生きるピアニストや音楽ファンは、これまでに遺されてきたすべての名盤を捨て去ってでも、この一枚を手にすることを切望することだろう。しかし、タイムマシンでも発明されない限り、モーツァルトのピアノ演奏を耳にすることはできない。ピアニストである著者は、モーツァルト自身や家族の手紙、その周辺の人々が書き残した書簡を徹底的に読み解くことで、作曲家が自作のクラヴィーア作品をどのように弾いたかを推理する。中でも、例のベーズレ書簡とK309のソナタとの親近性に関する分析は驚きの連続で、映画「アマデウス」以上にショッキング。本文で取り上げられた作品や 譜例が、インターネットで実際に耳にできることも、新しい音楽書への道を切り拓く試みだ。
レッスンの友 (平成12年8月号)
  作曲家としてのモーツァルトに視点を置いたものは限りなく出版されているが、これは演奏家としても天才だったモーツァルトはどのようにピアノを弾いたか、に視点を置いた著作である。
 モーツァルトに関するレクチャー・リサイタルや講座を数多く行うなど、モーツァルト研究をライフ・ワークとしている著者が、当時のコンサートの模様、楽器の特徴、モーツァルト自身の言葉などをもとに、音楽観、演奏方法に迫る。作曲家ではなく、演奏家としての新しいモーツァルト像が浮かび上がってくる好著である。
 尚、本文中に取り上げられたモーツァルトや同時代の作曲家の作品が、著者自身の演奏でインターネットで聴けるというのが画期的な試みと言えよう。
楽器商報(平成12年8月号)
 作曲家としてはもちろん、演奏家としても天才だったモーツァルトは、どのようにピアノを弾いたのだろうか。
 著者の久元祐子氏は、当時のコンサートの模様、当時の楽器の特徴、モーツァルト自身の言葉などをもとに、モーソァルトの音楽観、演奏方法に追っていく。ピアニストの視点から、モーツァルトの人間像、作品像に新しい視点を提供する好著と言えるだろう。
 久元氏は、東京芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を卒業後、同大学院修士課程を修了し、リサイタルやオーケストラとの共演のほか、モーソァルトを中心としたレクチャーやりサイタルを開いてきた知性派ピアニストのひとり。朝日新聞天声人語、毎日新聞、産経新聞などにも取り上げられ、近年とみに注目を浴びている。
 この書籍の新しいところは、本書内で取りあげている楽曲をインターネットで聴くことができること。もちろん演奏は著者自身が行っている。試聴には前もって、リアルプレーヤーをパソコンにインストールしておく必要がある。りアルプレーヤーは無料で入手することができる。
 内容としては、第3章「トルコ行進曲をめぐって」で、「君のテンポはいすぎる!」と切り出している。タララララン、タララララン、タラララ、タラララ、タラララランというおなじみのあの曲であるが、早すぎると言われてもどのくらい早いのだろう。正しい早さとはどの程度の早さなのだろう。気になる方は、どうそホームページで試聴してみて下さい。
楽譜・音楽書展望 (平成12年8月号)
 ポイントとしては、モーツァルトは「どう弾いたか」ということになるが、著者は最後のところでそれについてふれているように、それはわかるはずもないし、それを追体験することもできないわけだが、モーツァルトの作品をひとつひとつ考察し、当時の演奏法について、社会的な背景とともに考え、その頃の楽器がどうであったかにも配慮し、彼の手紙にあらわれているいろいろな報告、当時のテンポ感、彼の自筆譜その他などから、そのヘんの状況を推測することで、ある程度まではその実像を引き出す可能性があるのではないかというのが、著者の考えであり、それが本書の狙いということもできるだろう。そのために、著者はじつに丹念に当時の状況証拠を拾い集めて、それを整理し、前記のポイントについての著者自身の考えをまとめていく。きわめて興味ある推論であり、解釈におけるすばらしい提案といえるのではないか。  余談になるが、モーツァルトのピアノ・ソナタのうち、K,330、K.331、K.332の3曲は、従来はパリ旅行の際に書かれたものとされていたが、最近ではタイソンそのほかの研究から、 その時期よりもあとのウィーン時代に書かれたものとされるようになった。それについて著者は「ただ、タイソンの判断について言えば、五線紙の種類から一七八三年のザルツブルク訪問以降の作曲だ、とまで断定してよいものなのかどうかはやや疑問が残る」としながらも、前記の3曲のほかにK.310やK.333を含めての5曲のうち、K.310と他の4曲とを弾き比べてみると、後者は「作風が明らかに異なっている」ので「作曲時期の訂正は、作品の内容から見ても説得力を持つものといえよう」としている。その是非はともかくとして、日本での情報の受け取り方のひとつの事例ともいえるもので、興味深いものがある。
CLASSICA (平成12年8月11日)
●「モーツァルトはどう弾いたか」(久元祐子著/丸善ブックス)を読む。ピアニストとして活動する著者が、演奏家の視点からモーツァルトの人と音楽に迫る一冊。タイトルからも分かるように、焦点はピアニストとしてのモーツァルト、モーツァルト時代のピアノに当てられている。モーツァルトの手紙などの文献を頼りにその音楽活動を追いながらも、とりあげられる事例は具体的であり、モーツァルトのピアノ音楽を(特にピアノ・ソナタを)愛好する人にとっては示唆に富む内容。たとえば、「トルコ行進曲」のテンポはどう設定すればよいのか(ご存知のように、ピアニストによって1.5倍くらいは速度が違う)。幻想曲ニ短調の最後の数小節は本来未完であり他人の手が入った楽譜が一般に出版されているが、これはどうすればよいのか。時折左手のパートがすっぽり抜け落ちている戴冠式協奏曲を印刷譜通りに弾くことに意味はあるのか。
●この本の親切なところは一部ネットとの連動をはかっているところで、文字だけでの言及では伝わらないような事柄をウェブ上に音を置いて、耳で確かめられるようになっている。これは技術的にはシンプルなことであっても、非常に効果的で実際的なやり方。
●しかし、大変だよなあ、モーツァルトを弾くのは。ピリオド楽器派の隆盛のおかげで、今じゃワタシらはこの時代の音楽を弾くことの難しさについて、すっかり耳年増状態。まず、楽器そのものが大きく違う。さらに紙に固定された出版譜というもののありかたが違う。当時の奏者(しばしば作曲者本人)にとっては自明ゆえに楽譜に書かれていない情報がある。やれやれ。
●だから「モーツァルトはどう弾いたのか」、すごく知りたい。が、結局のところは分からない。しかし分からないが、演奏家は何らかの態度表明は迫られるわけで、評伝的なアプローチによったり記譜法を解釈しながら、形にしていく。その過程の一つをここに見出しながら紐解いていくのもいい。
超絶技巧的ピアノ編曲の世界 (平成12年7月27日)
 「モーツァルトのピアノ音楽」の久元祐子さんの著書,『モーツァルトはどう弾いたか』(丸善ブックス 1600円)が上梓されました。
ピアノ演奏者としてのモーツァルト,という点を徹底的に追求した実に面白い本です。当時の多様なピアノ(クラヴィア)を演奏してタッチや音色を弾き比べ,モーツァルトのみならず,同時代のピアノ作品を演奏した久元さんならばこその見事な推論と鋭い観察は非常にスリリングです。
私はまだパラパラめくった程度ですが,「トルコ行進曲のテンポ」についての章は非常に面白かったですね。「お前の演奏はアレグレットでなくプレストだ,もう一度勉強しなおせ!」という猛烈な抗議を受けたのが発端とのことですが,それに対し,当時のピアノのタッチの軽さ,5本も付いていたペダルの機能とその演奏効果,モーツァルトが使った五線譜の段数による作曲年代の推理,オスマントルコに対するヨーロッパの意識,そして,楽譜を売るためにわざと易しいテンポ設定したのでは・・・というモーツァルトの楽譜販売戦略への推論など,推理小説を読むような面白さでした。

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