久元 祐子 著書

《モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪》 
  • 作曲家が愛したピアノからアプローチする演奏法「ベートーヴェン」:学研プラス
  • 名器から生まれた名曲B リストとベーゼンドルファー・ピアノ
  • 名器から生まれた名曲Aショパンとプレイエル・ピアノ
  • 名器から生まれた名曲@モーツァルトとヴァルター・ピアノ
  • 「原典版」で弾きたい! モーツァルトのピアノ・ソナタ
  • 作曲家ダイジェスト ショパン
  • モーツァルトのピアノ音楽研究
  • 作曲家別演奏法U モーツァルト
  • 作曲者別ピアノ演奏法
  • モーツァルトー18世紀ミュージシャンの青春
  • モーツァルトはどう弾いたか
  • モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪

《モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪・天才と同時代人たち》 音楽之友社

book

序章   18世紀半ばのクラヴィーア音楽
第1章  ザルツブルクとその音楽
第2章  神童の旅・音楽との出会い
第3章  成熟への旅立ち
第4章  絶頂期のクラヴィーア音楽
第5章  行き止まりの音楽
結び   モーツァルトのピアノ音楽再考

(1998年1月刊行)




 モーツァルトの短い生涯は、大きな時代の転換期と重なっていました。貴族社会が終焉を迎えようとしていたとき、そして打ち続く戦乱と革命の時代が始まろうとしていたとき、貴族社会の文化はまさに爛熟の花を咲かせました。その豊穣の世界の主役に音楽がありました。音楽はもはやバロック音楽のように、神を讃美するものではなく、現世の喜びが溢れるものになりました。そして、バロックから古典派への音楽様式の交替と変化には、モーツァルトのみならず、数え切れないほど多くの音楽家が関わったのでした。
 本書は、そのような転換期の時代を背景にしながら、モーツァルトのピアノの作品を、この時代を生きた作曲家たちとともに蘇らせようという試みです。音楽史上に燦然と輝くモーツァルトのピアノ音楽を、モーツァルトと同じ時代を生きた音楽家の作品とともに、その時代の体温の中で感じてみたい ― というのが、この本を執筆した動機です。
 天才モーツァルトも時代の子でした。同時代の、あるいはそれ以前の音楽を学習し、吸収しながら、音楽家として成長していきました。音楽様式の転換期にあったこの時代、ヨーロッパのあちこちで有能な音楽家たちが活躍しており、モーツァルトは、これら同時代の音楽家の音楽を研究し、取り入れながら、自らの作風をつくりあげていったのでした。
 このように、モーツァルトの音楽を理解する上で、モーツァルトと同時代の音楽家の音楽を知ることはとても重要です。そして彼らの音楽との比較は、モーツァルトの音楽の比類のなさが一体どこにあるのかを理解する上でも大きな助けになることでしょう。
 モーツァルトの同時代人としては、何と言ってもヨーゼフ・ハイドンがおり、そしてただ一回の不幸な邂逅があった鍵盤音楽の大家、ムツィオ・クレメンティがいます。この二人の作品は、今日リサイタルのプログラムにときどき上ります。しかし、クリストフ・ヴァーゲンザイル、ヨハン・ショーベルト、ヨハン・クリスチャン・バッハ、ヨーゼフ・ミスリヴェチェックなどモーツァルトに直接影響を与えた同時代人の音楽家たち、あるいは、アントニオ・サリエリ、ジョヴァンニ・パイジェルロ、フランツ・ドゥシェックなど、モーツァルトにゆかりのあった音楽家の作品は、わが国では演奏されることが大変少ないのが現状です。
 私は、「モーツァルトと同時代人たち」「モーツァルト・パリへの旅」などのリサイタル、また「モーツァルトとその時代」などのレクチュア・シリーズで、モーツァルトと同時代人たちの鍵盤作品を弾き、その作風に触れてきました。それらのいくつかは、モーツァルトの作品と驚くほど似通っていますし、また逆に、モーツァルトへの影響が繰り返し指摘されながら、実際に弾いてみると全く違っている作品もあります。いずれにしても、これらの作品は、モーツァルトの音楽を知り尽くしている私たちに、尽きることない関心の対象です。私は、それらの作品を曇りのない目と耳で蘇らせ、これらの作品との比較をも通じて、モーツァルトの作品自体の魅力を感じたいと思いました。
 また、モーツァルトや同時代の音楽家によるピアノのための作品を理解する上で、当時の音楽をめぐる環境、とりわけ当時の鍵盤楽器がどのようなものであったかを抜きにして語ることはできません。当時ピアノはいまだ発展途上にあり、ピアノフォルテと呼ばれていました。そして、以前からあったチェンバロも盛んに使われ、また、北ドイツでよく使われていたクラヴィコードもなおポピュラーでした。このチェンバロ、ピアノフォルテ、クラヴィコードの三種類の鍵盤楽器は、「クラヴィーア」と総称されていたのですが、本書の目的は、モーツァルトのクラヴィーア音楽を、当時の楽器、出版、演奏の慣行など、モーツァルトが生きた時代の音楽環境の中で蘇らせることにあります。モーツァルトと同時代人たちのクラヴィーア音楽を、歴史的な文脈の中で浮き彫りにし、その上でモーツァルトの音楽の比類のなさを感じてみたいと思うのです。音楽学者としての視点ではなく、演奏をする者の耳と視点で、モーツァルトとその同時代人たちのクラヴィーア音楽を考えてみたいと思います。
 モーツァルトのクラヴィーア曲は間違いなく偉大です。いままで東西の碩学がそう言ってきたからではなく、モーツァルトが生きた時代、そして彼が時代を共有した人々とともに蘇らせ、その上でモーツァルトの音楽の偉大さと魅力を感じ取ってみたいと思います。モーツァルトを神棚に祭り上げてひたすらオマージュを捧げるのではなく、その時代の体温が感じられるようなアプローチで、彼の音楽に迫ることができればと思います。

(本書は、メール アイコン までご連絡いただければお送りさせていただきます。送料は200円です。)

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