久元 祐子 ピアノ・リサイタル 2005 年 9 月 13 日( 火) 19:00 東京文化会館 Program note
私が初めてラトヴィアを訪れたのは、ラトヴィアが旧ソ連から独立を果たした1991年4月のことだった。旧ソ連国営の音楽プロモーター「ゴスコンツェルト」が、当時のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)などでリサイタルを行い、リガで国立ラトヴィア交響楽団と協演しないかと招いてくださったのである。 1991年4月11日早朝、レニングラードでのリサイタルを終えた私は、夜行列車でリガに着いた。リガは、北国の淡い春の光があふれ、中世の面影を残す街並みは、静かなたたずまいを見せていた。 あれから十数年の月日が流れ、私は何度かラトビアを訪れる機会に恵まれている。代表的なホールであるブラックヘッズでも弾かせていただいた。 私は、このようなご縁で、ラトビアの音楽に関心を持ってきた。2002年、2003年と、2年連続して、20世紀ラトビア音楽を代表する作曲家、ヤーゼプス・ヴィートールス(1863−1948)の「ピアノのための10の変奏曲 作品6」を、日本初演として弾かせていただいたが、今回は、ヴォルフガングス・ダルツィンス(1906〜1962)のピアノ・ソナタ第2番をやはり日本初演として弾かせていただく。 第1楽章「プレリュード」は、ゆったりと彷徨うような静かなモノローグで始まり、浮遊感のある透明な輝きをもった世界が広がっていく。やがて、冒頭の旋律が巨大な岸壁に打ち寄せる波のように大きなうねりとともに再現される。 第2楽章「インテルメッツォ」は、プリミティブな踊りを思わせる律動的な音楽。スタッカートでユーモラスに動く部分とレガートの叙情的な部分が交互に登場する。そしてフォルティッシモの轟きの後、再び踊りが繰り返される。 第3楽章は、歩むような旋律で始まり、アジタートで8分の3拍子のリズムが激しくたたみかける。流星群がめまぐるしく眼前を通り過ぎるかのようなカオスののち、ふと現実に帰るかのように、冒頭の歌が回想されて曲を閉じる。 全楽章を通じ、自然の美しさと神秘に満ちた幻想的な作品であると思う。深い森や美しいバルト海の潮騒が音を通じて立ち現れるような気がする。
―ラトヴィアのこと― ラトビアは、バルト海に面する、バルト三国の一国である。6万4600平方キロほどの国土に240万人ほどの人々が暮らしている。ラトビア語を話すラトビア人の国だが、13世紀にドイツ騎士団が進出し、今日のリガの街を建設した。旧ソ連時代に併合され、現在では人口の約3割がロシア人である。 ラトビアの首都リガは、人口90万人弱。聖ピョートル教会の高い屋上から望むと、中世の昔からほとんど手が加えられていない旧市街と近代的なマーケットが建てられている新市街とがあざやかなコントラストを見せている。旧市街には、ヨーロッパ最大のパイプオルガンで有名なリガ大聖堂がある。 人々がテラスで食事を楽しむ落ち着いた街並み。アール・ヌーボーの代表的建築が建ち並ぶ場所も美しい。映画「戦艦ポチョムキン」の監督セルゲイ・エーゼンシュタインの父、ミハエル・エーゼンシュタインは、ラトヴィアの代表的なアール・ヌーボー建築家のひとり。植物模様、デフォルメされた人面など独特のリズムを持った建築だ。
1777年10月か11月、旅先のマンハイムで作曲された。1777年9月から翌々年の1月までの1年半近くにわたる旅は、結局悲劇と失望に終わるのだが、旅だったばかりのマンハイムで、モーツァルトは解放感にひたっていた。この時期の作品には曇りのない明るさがあふれているが、この曲も例外ではない。 マンハイム(右は宮殿)では2曲のピアノ・ソナタが作曲されており、ひとつのピアノ・ソナタ、ハ長調K309については、モーツァルトはいろいろと興味深いことを書き残しているが、このニ長調K311についてはほとんど何も語っていない。 モーツァルトの器楽曲にしてはやや脱線気味かもしれないK309に比べ、このK311は、全体にわたって優雅な気品が感じられる。 第1楽章を弾いていて感じるのは、シンフォニエッタのスタイルが随所に見られることだ。さまざまな楽器が登場し、対話を交わしているようなやりとりが鍵盤上で行われている。フォルテとピアノの対比をまじえながら、両手をフルに使って、弦楽器や管楽器の音色や節回しを思わせる音型をふんだんに繰り出し、多彩な響きを創り出そうとしている。そのような特徴は、動きがめまぐるしくなる展開部において著しい。 第2楽章は、アンダンテ・コン・エスプレッショーネ、4分の2拍子。軽妙でいてしみじみとしたロンド風の音楽。テーマは柔らかく、発展可能性に富んでいるが、フォルテとピアノの対比ははじめから出てきて、全体を通じ、効果的に用いられている。テーマは現れる度に微妙に、そして大胆に変化していき、美しく移ろっていく。そして移ろいながらいつしか決然とした雰囲気に入り、トリルや休符を交えながら、ときには半音階的に動き、また、トリルを多用したりして、変幻自在な動きを見せる。 第3楽章ロンドは、コンチェルトの色彩が強い。ピアノ・コンチェルトの終楽章そのものといってもいいような雰囲気を持っている。躍動感のあるテーマで始まり、ソロとオーケストラが掛け合ったり、オーケストラの伴奏の上にソロの華麗なパッサージが繰り広げたり、ソロからオーケストラへなめらかに受け継がれるかのような場面が次々に出てきて、まったく聴き手を飽きさせない。明らかにトゥッティがイメージされている華やかな音型が奏され、両手で4つずつの和音がフェルマータにより長く弾かれた後、カデンツァが始まり、アンダンテ、プレスト、アダージョとテンポもめまぐるしく変化する。再びロンド主題が戻ってくるのだが、コーダの部分も長く、またソロとトゥッティが挑発し合うかのように競演し、華やかに曲を閉じる。 このソナタは、反復の仕方にもよるが、第1楽章よりも第2楽章が、第2楽章よりも第3楽章が長く、終楽章に重点があり、しかも終楽章のカデンツァをめざして進んでいく。モーツァルトはこの楽章で、これまでのピアノ・ソナタでは行わなかったような実験をしており、それは見事に成功しているように思える。
ヨハネス・ブラームス(1833〜97)の晩年の作品。1892年、59歳のときに作曲された。私はこの曲集を大学院の頃に知った。演奏活動を始めた頃によく弾いていたが、正直言って最近ようやくこの曲の味わい深さがわかりかけてきたような気がしている。ブラームス後期の独特の淡い色合いはどう出していくのか、試行錯誤はこれからも続くことだろう。 第1曲は、変ホ長調。スコアには、詩人ヘルダーの「不幸な母親の子守唄」の2行が引用されている。「やすらかに眠れ、わが子よ。美しく眠りなさい。お前の泣くのを見るのが私にはたまらない」静かな子守歌の間に、痛みを伴う変ホ短調の中間部が挟まれ、奥行きの深い世界が広がる。 第2曲は、変ロ短調。第1曲には一種の諦念のようなものがあるが、この曲には寂しげな孤独がある。涙のしずくを思わせるような悲しげなアルペジオ風の音型が執拗に繰り返される。 第3曲は、嬰ハ短調。民謡風の旋律がユニゾンで始まったのち、柔らかな和声が加わり、出てくるたびに表情や色合いを変えながら歌い継がれる。中間部では、テンポからも自由になり、夢の中にいるような飛翔が見られるが、不安と孤独は癒されることはなく、弔鐘のような低く暗いバスの音が心に響き、曲を閉じる。
2004.9.1 へ