2007 年 7 月 21 日(土) 15:00 茅野市民館 2007 年 7 月 31 日( 火) 19:00 東京文化会館 Program note
ショパン :幻想曲 ヘ短調 作品49
大バッハは、 二度目の妻、アンナ・マクダレーナとの間には、13人の子供を設けたが、一番末の息子であるヨハン・クリスティアン・バッハ(1735−1782 右の肖像画)が後世に名が残る音楽家となった。彼は15歳のときに父の大バッハが亡くなると、ベルリンの兄エマヌエル・バッハの下に預けられ、その教育を受けた。ベルリンで観たイタリア・オペラの魅力に魅せられ、20歳のときにイタリアに赴く。そしてカトリックに改宗し、ミラノ大聖堂のオルガニストを7年間つとめた。その後ボローニャのマルティーニ神父のもとで作曲を勉強し、ナポリでオペラを作曲した後、1762年、イギリスに渡り、王妃シャーロットの音楽教師になった。 彼は、ロンドンでオペラや交響曲、室内楽などを作曲し、人気のある音楽家として活躍したが、クラヴィーアのためのソナタも多数残している。ロンドンは、ピアノフォルテがもっとも早く普及した都市で、ヨハン・クリスティアン・バッハの作品5の6曲のクラヴィーア・ソナタは、当時ロンドンで流行していたスクエア型のピアノフォルテを想定して作曲された。モーツァルトは1764年から1765年に神童としてロンドンを訪れ、バッキンガム宮殿でヨハン・クリスティアン・バッハとともに国王ジョージ3世の前で演奏しているが、モーツァルトは後に彼の作品5のうちの3曲をクラヴィーア協奏曲に編曲している。 きょう弾かせていただく作品17のソナタは、ヨハン・クリスティアン・バッハの代表作で、1773年か1774年にロンドンで作曲された。パリのジベール社で出版され、その後、ウィーン、ロンドン、アムステルダムでも出版された人気作品である。ほぼ同じ頃、ハイドンは、やはり6曲からなる作品13のピアノ・ソナタを作曲しているが、弾き比べてみると、作風の違いがよくわかる。ハイドンはおそらくはチェンバロを想定して作曲しており、バッハ・ジュニアは、ピアノフォルテで弾かれることも想定して作曲したという違いもあるが。 第5曲のイ長調のソナタは、とりわけ優雅な雰囲気にあふれ、クリスティアン・バッハの曲の中ではもっとも好きな曲だ。モーツァルトのピアノ・ソナタはすべて3楽章形式でできているが、クリスティアン・バッハのピアノ・ソナタには、この曲のように2楽章形式で書かれているものも多い。
私は、ラトビアの音楽に関心を持ってきた。2002年には20世紀ラトビア音楽を代表する作曲家、ヤーゼプス・ヴィートールス(1863−1948)の「ピアノのための10の変奏曲 作品6」を日本初演として弾かせていただいた。 2002年5月9日のプログラム・ノート また、好評をいただいたので、翌年にも弾かせていただいた。 2003年5月31日のプログラム・ノート さらに、2005年にはヴォルフガングス・ダルツィンス(1906−1962)のピアノ・ソナタ第2番をやはり日本初演として弾かせていただいた。 2005年9月13日のプログラム・ノート 今年は、ヤーゼプス・ヴィートールスの小品を4曲お聴きいただく。 前奏曲 作品17の2 ホ短調は、アンダンティーノ 8分の6拍子。メランコリックな主題が、美しく色合いを変えながら、繰り返される。3回のフェルマータでは、届かない憧れが宙に消えていくかのような哀しさと余韻が残る。最後は、ホ長調に転じ、光が差したように安らかな雰囲気の中に消えていく。 前奏曲 作品13の2 ト短調は、ヴィヴァーチェ・アッサイ 4分の3拍子。渦を巻くような音型でたたみかけるように始まり、時折、閃光のようなアクセントが衝撃的にすり抜ける。妖精が森に消え、一瞬の幻であったかのような闇が広がる。幻想的な雰囲気の小品。
ラトビア民族の歌 作品32の5 ニ短調は、アンダンテ・メストで4分の3拍子。哀しい嘆きの歌が、低い男声合唱の声を思わせるユニゾンで開始される。5小節+3小節という不規則なフレージングが、ラトビア語の語感を思わせる。ため息のモチーフが上声部にかぶさり、大きな叫びとなっていく。中間部は、天使の合唱のように、高音に転じ、4声がからみあいながら、歌い進み、最後は、力尽きるかのように、たったひとつの音が鳴らされ、張りつめた空気の中で、曲を閉じる。 ラトビア民族の歌 作品29の7 嬰へ短調は、アレグレット・ヴィーヴォで4分の2拍子。エネルギッシュな力にあふれた曲である。アクセントのきいた踊りのリズムが繰り返されるながら、気分は高揚していく。イ長調の陽気なフレーズが交互に現れ、最後は高らかに喜びの爆発で終わる。
ショパン(1810−49)は、幻想曲というタイトルを持った作品をこの1曲だけしか残していない。1841年に作曲され、翌年に出版された。スウゾー公爵夫人に献呈されている。ノアーンでジョルジュ・サンドと幸福な日々を送っていた頃の作品で、ショパンの気力の充実が反映しているといった説明が解説書などで書かれていることが多いが、果たしてそうだろうか。 確かに規模や内容の面で、ショパンの作品の中でも傑作の中に入ることは間違いがないだろう。しかしこの幻想曲を弾いていると、ショパンの横溢せんばかりの創作力の漲りを感じるというよりは、むしろ後ろ向きに後ずさりしていくような、あえて言えば「死」のイメージ、無の意識のようなものである。それは、この曲の少し前に作曲された「葬送ソナタ」にも通じるものであり、この2曲は、形式の違いを超えて、音楽の内容の面で共通点が多いように思える。葬送行進曲のリズム、葬送ソナタのフィナーレを思い起こす、風のようなパッセージ、遠くの教会から聞こえて来るかのようなコラール、斃れた英雄の栄誉を称えるかのような力強いマーチなどが次々に出現する。
2006.9.30 へ