第5回 セレモアつくば チャリティ コンサート
2006.年 4 月 .22 日(土) 18:00 紀尾井ホール
Program note

  
2010.4.6
2008.9.1
2008.4.15
2007.7.31
2006.9.30
2006.4.22
2005.9.13
2004.9.1
2003.10.29
2003.5.31
2002.11.20
2002.5.9



 W.A.モーツァルト : 交響曲 第32番ト長調 KV318 

  第1楽章  Allegro spiritoso 
  第2楽章  Andante 
  第3楽章  Tempo primo
  
 W.A.モーツァルト : ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 KV488   

  第1楽章 Allegro 
  第2楽章 Adagio 
  第3楽章 Allegro assai 


 W.A.モーツァルト : 交響曲 第41番 ハ長調 KV551 「ジュピター」     

  第1楽章 Allegro vivace 
  第2楽章 Andante cantabile 
  第3楽章 Menuetto : Allegretto 
  第4楽章 Allegro molto 


 東京フィルハーモニー管弦楽団  指揮 : 金聖響  ピアノ : 久元 祐子

 主催:(株)セレモアつくば    マネジメント:プロ アルテ ムジケ

<プログラム・ノート>    久元 祐子
W.A.モーツァルト : 交響曲 第32番ト長調  KV 318

コロレド

モーツァルトは、21歳の時、ザルツブルクの支配者コロレド大司教に辞表を書き、ザルツブルクを出ていきますが、ミュンヘン、マンハイム、パリなどどこにも就職することが出来ず、結局ザルツブルクに戻ることになりました。
コロレド大司教は、モーツァルトの旅行中、ミサの最中に急死したアードルガッサーが務めていた宮廷オルガニストにモーツァルトを任命します。報酬は年450グルデン。旅行に出る前のコンサートマスターの報酬の3倍で、ザルツブルクを足蹴にして出ていったという経緯を考えれば、コロレド大司教のこの計らいは、かなり寛大なものでした。
モーツァルトには大聖堂などで演奏される教会音楽を作曲する義務が課され、《戴冠式ミサ K317》などの名作が生まれています。教会音楽のほかに、宮廷などで開かれるコンサートのための作品もたくさんつくられました。
冒頭に演奏される、ト長調KV318の交響曲は、モーツァルトがザルツブルクに戻ってからつくられた最初のシンフォニーで、1779年4月26日に作曲されたと考えられています。
3つの楽章は切れ目なく演奏され、オペラの序曲の雰囲気が濃く、新全集を含め大抵のの版には、「序曲」というサブタイトルがつけられています。
楽器編成は、弦楽器、フルート2,オーボエ2,ファゴット2,ホルン4,トランペット2です。ティンパニの自筆パート譜は存在しませんが、モーツァルトの時代からティンパニのパート譜があり、この曲の祝祭的な気分から見てもティンパニが入ってもおかしくはないと思われます。
第1楽章のアレグロ・スピリトーソは、ソナタ形式ですが、再現部が登場すべき部分で突然休止し、ト長調アンダンテの第2楽章に入ります。第2楽章はロンド形式ですが、最初のロンド主題が回帰しないままに、今度は切れ目なく第3楽章に入っていき、最後は輝かしいコーダで曲を閉じます。
 

W.A.モーツァルト : ピアノ協奏曲 第23番 イ長調  KV 488
1786年3月2日、ウィーンで完成されました。モーツァルト、30歳。この年の5月1日には、ウィーンのブルク劇場で代表作の歌劇「フィガロの結婚」が初演されています。モーツァルトのいわば絶頂期の作品です。
モーツァルトの才能がもっとも発揮されたジャンルは、オペラとともにピアノ・コンチェルトだと言われますが、このイ長調KV488のコンチェルトは、その中の最高峰のひとつです。クラリネットが効果的に使われ、独特の色彩を醸し出しています。
鍵盤楽器と管弦楽が合奏する鍵盤楽器のためのコンチェルトという音楽様式はバロック時代から存在しましたが、モーツァルトはこのジャンルに革命的な変革をもたらしました。
バロック時代のコンチェルトでは鍵盤楽器で弾かれるソロは、いわば響きを構成する楽器の一種類にすぎませんでしたが、モーツァルトは、ソロにもっと大きな役割を与えました。ソロはオーケストラと対等、ときにはそれ以上の存在感を示して雄弁に語り、音楽の流れをリードし、劇的な表現力を持って聴き手に迫るようになりました。このような要素は、モーツァルトが鍵盤楽器奏者として際だった才能を持っていて、演奏家としても作曲家としてもこの楽器の可能性を知り尽くしていたからこそ、はじめて可能になったと考えられます。この曲の第2楽章は、深い情感をたたえたシチリアーノの旋律が印象的です。
またモーツァルトは、ピアノ・コンチェルトの中にオペラの要素を持ち込みました。ピアノのソロは、オーケストラとの間で対立し、溶けあい、補い合い、対話を交わします。しかもモーツァルトは、オーケストレーションの中でそれぞれの楽器に独自の役割を与えました。まるでオペラの中の二重唱や三重唱のように、管楽器がピアノとの間でさまざまな会話をかわします。このコンチェルトの第3楽章では、自由闊達なかけあいも聴きどころです。
楽器編成は、弦楽器、フルート2,クラリネット2,ファゴット2、ホルン2で、トランペットやティンパニはなく、全体として柔らかく、優美な雰囲気になっています。
ウィーン時代のピアノ・コンチェルトでは、ピアノのソロが最初に登場するとき、単にオーケストラが奏する第1主題をなぞるのではなく、全く異なったフレーズで入ってくることが多いのですが、このコンチェルトではオーケストラの奏するテーマをそのままなぞっており、このような点からも平明な印象を受けます。
ピアノで奏されるカデンツァは、第1楽章では自作のものが残されていますが、第2,第3楽章には、カデンツァが入るような箇所はありません。まったく無駄のない書法で書かれており、この完成度の高い芸術作品を損なわないためには、即興的装飾は最小限にすることに気をつけるべきだと感じます。
W.A.モーツァルト : 交響曲 第41番 ハ長調  KV 551 「ジュピター」

モーツァルトの交響曲の最後を飾る名作です。第39番変ホ長調KV543、第40番ト短調KV550,そして今日演奏される第41番ハ長調KV551の3曲は、モーツァルトの三大交響曲と呼ばれ、1788年夏の短期間に続けて作曲されました。モーツァルトの音楽人生には次第に陰りが見え始めた頃で、モーツァルトの生前には演奏されたという記録は残されていません。生前には一度も演奏されなかったという説もありますが、何らかの機会に演奏されたという見方も唱えられています。
「ジュピター」(ギリシァ神話の最高神ゼウスの英語標記)の愛称がコンサートに最初に登場するのは、1819年10月20日にイギリスのエディンバラで開催されたコンサートだとされています。その後イギリス各地でこの曲が演奏される機会によく用いられるようになり、ヨーロッパ中に広がりました。もともとは、イギリスにおけるハイドンのコンサートを企画したヨハン・ペーター・ザロモンが命名したという説が有力です。
第1楽章は壮麗な音楽で、「ジュピター」の愛称は、この印象からつけられたとも考えられます。第2楽章は、打って変わって静かな、瞑想的なアンダンテ・カンタービレで開始されますが、いつしか不安な気分がおそってきて、不安感はしばしばフォルテで強調されます。不安は展開部で頂点に達しますが、やがて平安な気分が回帰します。しかし不安感は完全には解消されないでいるようにも思えます。
第3楽章は、伝統的なメヌエットとトリオの楽章。この楽章は、指揮者の解釈によってテンポがかなり異なります。当日はどんな風に演奏されるのでしょうか。
終楽章は、壮大なフーガでできています。テーマで使われているドレファミの音型は、グレゴリオ聖歌に起源がある古い動機で、たくさんの作曲家の作品に登場します。モーツァルトはこのテーマで開始し、数多くの動機を組み合わせて壮大なフィナーレを完成させたのでした。

2005.9.13 へ