第5回 セレモアつくば チャリティ コンサート 2006.年 4 月 .22 日(土) 18:00 紀尾井ホール Program note
モーツァルトは、21歳の時、ザルツブルクの支配者コロレド大司教に辞表を書き、ザルツブルクを出ていきますが、ミュンヘン、マンハイム、パリなどどこにも就職することが出来ず、結局ザルツブルクに戻ることになりました。 コロレド大司教は、モーツァルトの旅行中、ミサの最中に急死したアードルガッサーが務めていた宮廷オルガニストにモーツァルトを任命します。報酬は年450グルデン。旅行に出る前のコンサートマスターの報酬の3倍で、ザルツブルクを足蹴にして出ていったという経緯を考えれば、コロレド大司教のこの計らいは、かなり寛大なものでした。 モーツァルトには大聖堂などで演奏される教会音楽を作曲する義務が課され、《戴冠式ミサ K317》などの名作が生まれています。教会音楽のほかに、宮廷などで開かれるコンサートのための作品もたくさんつくられました。 冒頭に演奏される、ト長調KV318の交響曲は、モーツァルトがザルツブルクに戻ってからつくられた最初のシンフォニーで、1779年4月26日に作曲されたと考えられています。 3つの楽章は切れ目なく演奏され、オペラの序曲の雰囲気が濃く、新全集を含め大抵のの版には、「序曲」というサブタイトルがつけられています。 楽器編成は、弦楽器、フルート2,オーボエ2,ファゴット2,ホルン4,トランペット2です。ティンパニの自筆パート譜は存在しませんが、モーツァルトの時代からティンパニのパート譜があり、この曲の祝祭的な気分から見てもティンパニが入ってもおかしくはないと思われます。 第1楽章のアレグロ・スピリトーソは、ソナタ形式ですが、再現部が登場すべき部分で突然休止し、ト長調アンダンテの第2楽章に入ります。第2楽章はロンド形式ですが、最初のロンド主題が回帰しないままに、今度は切れ目なく第3楽章に入っていき、最後は輝かしいコーダで曲を閉じます。
モーツァルトの交響曲の最後を飾る名作です。第39番変ホ長調KV543、第40番ト短調KV550,そして今日演奏される第41番ハ長調KV551の3曲は、モーツァルトの三大交響曲と呼ばれ、1788年夏の短期間に続けて作曲されました。モーツァルトの音楽人生には次第に陰りが見え始めた頃で、モーツァルトの生前には演奏されたという記録は残されていません。生前には一度も演奏されなかったという説もありますが、何らかの機会に演奏されたという見方も唱えられています。 「ジュピター」(ギリシァ神話の最高神ゼウスの英語標記)の愛称がコンサートに最初に登場するのは、1819年10月20日にイギリスのエディンバラで開催されたコンサートだとされています。その後イギリス各地でこの曲が演奏される機会によく用いられるようになり、ヨーロッパ中に広がりました。もともとは、イギリスにおけるハイドンのコンサートを企画したヨハン・ペーター・ザロモンが命名したという説が有力です。 第1楽章は壮麗な音楽で、「ジュピター」の愛称は、この印象からつけられたとも考えられます。第2楽章は、打って変わって静かな、瞑想的なアンダンテ・カンタービレで開始されますが、いつしか不安な気分がおそってきて、不安感はしばしばフォルテで強調されます。不安は展開部で頂点に達しますが、やがて平安な気分が回帰します。しかし不安感は完全には解消されないでいるようにも思えます。 第3楽章は、伝統的なメヌエットとトリオの楽章。この楽章は、指揮者の解釈によってテンポがかなり異なります。当日はどんな風に演奏されるのでしょうか。 終楽章は、壮大なフーガでできています。テーマで使われているドレファミの音型は、グレゴリオ聖歌に起源がある古い動機で、たくさんの作曲家の作品に登場します。モーツァルトはこのテーマで開始し、数多くの動機を組み合わせて壮大なフィナーレを完成させたのでした。
2005.9.13 へ