ドレスデン

1789.4.12 - 4.18

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モーツァルトの旅 2
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ザクセン公国の首都
モーツァルトとリヒノフスキー公爵は、プラハを経て、4月12日、ドレスデンに着きました。
ドレスデンには当時ザクセン公国の宮廷があり、モーツァルトが訪問した時のザクセン選帝侯は、フリードリヒ・アウグスト3世(1750 - 1827)でした。
ザクセン公国の宮廷があったツヴィンガー宮殿は、ザクセン君主の騎馬像や、その当時の芸術家などが描かれた「君主の行列」で知られます。北側の城壁に描かれた壁画で、すべてザクセンが誇るマイセンのタイルが使われ、長さは100メートルにも及びます。ザクセン公国の歴代の選帝侯などが描かれています。



ドレスデンは、このように古い歴史を誇る、美しい街ですが、第2次世界大戦の末期、アメリカを中心とする連合国空軍によるすさまじい爆撃で、ほぼ完全に破壊され、焦土と化しました。
戦後、ねばり強い再建の努力が続けられ、宮殿や教会、オペラ劇場などが往事の勇姿を取り戻しました。
「君主の行列」は、奇跡的に破壊を免れた文化遺産です。
「君主の行列」
翌日にはさっそくコンサートを開き、K563のディヴェルティメントなどを演奏していますが、たまたまドレスデンに来ていたドゥシェック夫人のヨゼファ(Josepha Duschek 1754-1824) も出演し、《フィガロの結婚》のアリアなどを歌っています。
メイナード・ソロモンは、目的がはっきしりない今回の旅行の真の目的は、ドゥシェック夫人だった、と推測します。
確かに、ドゥシェック夫人は、モーツァルトの旅先にひんぱんに現れ、歌を歌っていますが、モーツァルトと夫人とがどのような仲だったのかはわかっていません。
モーツァルトは、4月14日には、ザクセン公国の選帝侯夫妻の前で、クラヴィーア協奏曲ニ長調K537《戴冠式》を演奏し、嗅ぎ煙草入れと100ドゥカーテンをもらっています。これはかなりの高額でした。

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