ライプツィヒ 2

1789.5.8 - 5.17

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
モーツァルトの旅 4
ウィーン 4
ザルツブルク 11
リ ン ツ
ウィーン 5
地 図
プ ラ ハ 1
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マインツ 2
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プ ラ ハ 3
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古 都
サン・スーシ宮殿で持てはやされるという期待がはずれたモーツァルトは、5月8日、リヒノフスキー侯爵と一緒にライプツィヒに戻ってきます。
古都ライプツィヒは、大バッハのほか、19世紀にはロベルト・シューマン、メンデルスゾーンなどが、また音楽家以外ではニーチェなどが活躍した文化都市です。
シューマンは、ライプツィヒ大学に入学、そして、この地で、妻となるピアニスト、クララと出会いました。指を痛めてピアニストとなることを断念し、作曲活動を始める一方、《音楽新報》を発刊し、積極的な評論活動を行ったのもライプツィヒでした。
左の写真のように、この街は、今日でも歴史のある佇まいを残しています。
モーツァルトはライプツィヒからベルリンに向かいますが、リヒノフスキー侯爵とは別れることになりました。このときモーツァルトは旅費として侯爵に100フローリンを貸して(!)います。
ゲヴァントハウスでのコンサート
5月12日、モーツァルトは、ゲヴァントハウス劇場でコンサートを開きます。この日のプログラムは、ピアノ・コンチェルトが2曲(おそらくは、変ロ長調 KV456、ハ長調 KV503)、ハ短調の幻想曲、変奏曲、アリアが2曲、交響曲も2曲という長大なものでした。このコンサートでもドゥシェック夫人が美声を響かせています。
ゲヴァントハウスのオーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(Gewandhausorchester Leipzig)は、世界最古のオーケストラとされています。1743年に市民が自発的に結成したオーケストラとして発足しました。1781年に「ゲヴァントハウス」(Gewandhaus 衣装の展示場として使われていた建物)が本拠地となりました。
右の絵は、メンデルスゾーンが当時のゲヴァントハウスを描いた水彩画です。
メンデルスゾーンは、1835年から1846年ま指揮者を務め、当時忘れられていた大バッハの作品の復活にも貢献しました。現在のゲヴァントハウスは、1981年にオープンした、3代目の建物です。


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