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- ブレンナー峠
- 12月18日、インスブルックを出発したモーツァルト父子は、19日か20日には、ブレンナー峠(下の写真)を越え、ブレッサノーネに向かいました。
12月21日に、モーツァルト父子はボルツァーノに着きました。
この街には、芸術を愛好する貴族や商人も多かったと思われますが、彼らはモーツァルトにあまり関心を示さなかったのか、この街での滞在は、短期間でした。
- ドイツとイタリアのせめぎあい
- ボルツァーノは、ドイツ語ではボーツェンと呼ばれるように、イタリアとオーストリアの間で、領土の帰属が争われてきました。
この辺り一帯は、14世紀にハプスブルク家のルドルフ4世の手に渡って以来、ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国の領土となりました。モーツァルトの時代も、当然、オーストリア領でした。1861年にイタリア王国が成立してからもオーストリアの支配が続きます。
1918年にオーストリアが第1次大戦に敗れると、1919年、サン=ジェルマン条約によりイタリア領となりました。しかし、ドイツ系住民もいるため、第2次大戦後も、イタリアからも分離独立を主張する人々も居て、しばらく混乱が続きました。
その後落ち着きを取り戻し、 ボルツァーノを中心とするトレンティノ・アルト・アディジェ州は、ワインの生産地として評価を高めているようです。
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