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- 当時はヴェネツィア共和国
3月12日、モーツァルト父子は、ヴェネツィアを発ち、小舟でブレンタ川を上ってパドゥヴァに着きました。
パドゥヴァは、古くから北イタリアの要衝として栄え、諸国間の争奪の対象となってきましたが、15世紀のはじめには、内陸進出をめざすヴェネツィア共和国の支配下に入りました。
- 「イル・サント」
- 3月12日、モーツァルト父子は、ヴェネツィアを発ち、小舟でブレンタ川を上ってパドゥヴァに着きました。
パドゥヴァは、古くから北イタリアの要衝として栄え、諸国間の争奪の対象となってきましたが、15世紀のはじめには、内陸進出をめざすヴェネツィア共和国の支配下に入りました。
上の写真は、8つの半球天井を持っていることで有名なサン・タントニオ教会です。13世紀から建設が始められた由緒ある教会で、別名「イル・サント」とも呼ばれ、多くの巡礼者を集めます。
モーツァルトはここでオルガンを弾いています。また、サンタ・ジュスティーナ教会でもオルガンを弾いています。
レオポルトによれば、モーツァルトは、パドゥヴァから仕事の注文を受けたようですが、この仕事が、オラトリオ《解放されたベトゥーリア》KV118(74c)で、ザルツブルクに戻ってから、1771年夏に作曲されています。
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