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- コンサートマスターに就任
- モーツァルト父子は、第1回イタリア旅行でヴェネツィアに滞在中、ミラノから送られてきたオペラ上演の契約書にサインしています。このオペラが、1773年の謝肉祭に上演される出し物でした。
今回の第3回イタリア旅行は、このときに予定されていた旅でした。
インスブルック、ブレッサノーネ、ボルツァーノ、トレント、ヴェロナを経てミラノに向かう、お馴染みのルートでした。
モーツァルト父子は、10月24日、ザルツブルクを出発。サンクト・ヨハンを経て、翌日にはインスブルックに到着し、2泊しています。インスブルックは、南チロルの美しい街で、モーツァルト父子は、郊外のハルに散歩に出かけ、ハプスブルク家ゆかりの修道院を訪ねたり、教会でオルガンを弾いたりしています。
27日に、ブレッサノーネに到達、28日ボルツァーノに着きました。
レオポルトは、ボルツァーノのことを、「荒涼とした感じ」のところだ、書き送っています。
- 「豚小屋のような汚さ」
- モーツァルトも、ザルツブルクの姉、ナンネル宛にレオポルトの手紙に追伸を書いています。
「今ぼくらはもうボーツェンにいます。もう? やっとですよ! お腹がすいて、喉が渇いて、眠くって、けだるいけど、でも元気です。ハルで修道院を見物して、ぼくはそこでオルガンを弾きました。・・・ごきげんよう。そちらの変わったことををお知らせください。ボーツェン、この豚小屋のような汚さ」
レオポルトは、この手紙の中で、モーツァルトが「今、退屈なので四重奏曲を書いています」と記しています。
モーツァルトは、イタリア旅行中に、6曲の弦楽四重奏曲(KV155 - 160)を作曲していますが、この手紙に出てくる曲は、その第1曲、ニ長調KV155(134a)でろうと考えられています。
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