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- 母親の埋葬
- モーツァルトは、異国の地で、哀しみに打ちひしがれながら、母マリア・アンナの葬儀と埋葬をすませました。
マリア・アンナの葬儀は、サン・トゥスタッシュ教会(Eglise Saint-Eustache)(下の写真) で、7月4日に執り行われました。
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モーツァルトは精神的に不安定になり、ザルツブルクへの嫌悪感を強めていったようです。レオポルトは、パリでの息子の将来に見切りをつけ、ザルツブルクでの復職を考え始めます。レオポルドはひんぱんにパリの息子に宛てて手紙を書きますが、モーツァルトはあまり返事を書かなかったようで、レオポルドは返事が少ないことを嘆いています。
この頃作曲されたピアノ作品に、有名なクラヴィーア・ソナタ イ短調 KV 310があります。悲劇的で深刻な雰囲気を持った作品で、母マリア・アンナの死とよく結びつけられてきました。自筆譜に「1778年パリ」と記されていますが、モーツァルトは手紙の中でこのソナタについては何も触れていません。雰囲気ともども謎めいた作品です。
- ヨハン・クリスティアン・バッハとの再会
- 8月下旬、モーツァルトは、パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レーに滞在します。旧知のカストラート歌手、テンドゥッチがド・ノアーユ公爵の紹介してくれたのです。
サン・ジェルマン・アン・レーはパリ郊外のセーヌ川沿いにあり、大きな城館(下の絵)でも知られます。
モーツァルトは公爵の館に滞在します。「金にはならないが、滞在費はかからない」とレオポルドに書き送っています。
サン・ジェルマンでモーツァルトは、ヨハン・クリスティアン・バッハに再会しています。ロンドン で触れましたように、神童時代にモーツァルトは、ヨハン・クリスチャン・バッハと出会い、意気投合しています。
バッキンガム宮殿から14年の歳月が流れ、モーツァルトはもはや神童ではありませんでした。
このとき、ヨハン・クリスティアン・バッハのソナタの代表作である6曲の作品17のクラヴィーア・ソナタは既に作曲されていましたが、モーツァルトはもはやそれらに学ぶものは何もなかったと思われます。
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