ミュンヘン 5

1778.12.25 - 1779.1.13

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
ザルツブルク 5
ヴェロナ 3
ミ ラ ノ 3
ザルツブルク 6
ボルツァーノ 2
ミ ラ ノ 4
ヴェロナ 4
ザルツブルク 7
ウィーン 3
ザルツブルク 8
ミュンヘン 3
ザルツブルク 9
ミュンヘン 4
アウグスブルク 2
マンハイム 1
パ リ 4
サン・ジェルマン
パ リ 5
ナンシー
ストラスブール
マンハイム 2
カイスハイム
ミュンヘン 5
ザルツブルク 10
ミュンヘン 6
モーツァルトの旅 4
失 恋
ミュンヘンに着いたモーツァルトは、まもなくアロイジア・ウェーバー(左の肖像画)嬢の心変わりを知ります。パリで地獄を見てきたモーツァルトに、さらに追い打ちをかけるようなできごとでした。
モーツァルトは、旧知のベッケの家で、レオポルド宛てにそのことには触れずに、悲痛な手紙を書き送っています。

「御存知の通り、ぼくは生まれつき字がへたです。いちども書き方を習ったことがないからです。でも、生まれてこのかた、今回ほどへたに書いたことがありません。書けないのです。 ― ぼくの心はいまにも泣き出しそうです!」(1778年12月29日付けの手紙)

一方レオポルドは、すぐにザルツブルクに帰郷するよう促します。もしパリを発ってまっすぐにザルツブルクに戻ってきていたとしたら、100フローリンが浮いただろう、とまで書いています。

ベーズレ嬢との帰郷
一方、アウグスブルクのベーズレ嬢(右の肖像画)は、モーツァルトの誘いを受けてミュンヘンにやってきていました。ウェーバー嬢の拒絶されたモーツァルトは、ベーズレ嬢を伴ってザルツブルクに帰りたいと考え、ふたりは連名でレオポルドに手紙を書き送っています。
モーツァルトは、ミュンヘンを出発し、1779年1月15日にザルツブルクに戻ってきました。ベーズレ嬢がモーツァルトと一緒にザルツブルクに来たのか、少し遅れて到着したのかはよくわかっていません。

今回の1年5ヶ月の長い旅は、まさに徒労の旅でした。モーツァルトは最愛の母親を異郷の地に亡くし、このことはレオポルドとの間に少なからず心理的な溝をつくったと考えられます。
しかし、このような悲痛な経験やマンハイムやパリなどでのさまざまな音楽との出会いは、モーツァルトを音楽家としても人間としても成長させることになりました。

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