フランクフルト 1

1763.8.10 - 8.31

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モーツァルトの旅 1
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フランクフルト・アム・マイン


モーツァルト一家は、8月10日、船でにフランクフルトに到着しました。マイン河畔の大都市です。
 古代から交通の要衝として栄え、経済の中心地でした。ポーランド国境にあるフランクフルトと区別して、フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)と呼ばれることがあります。
フランクルトは、1372年からナポレオンに征服される1806年まで、帝国に直属する自由都市として存在し続けました。
中世から、ありとあらゆる物資が集まり、とりわけ書籍の市はよく知られてきました。また、初めて貨幣によらない信用取引が行われた街としても有名です。
モーツァルト、レオポルト、ナンネルは、この街のシャルフ邸でコンサートを開いていますが、このコンサートには、7歳のゲーテが聴きに来たという説もあります。
上の写真のようなギザギザ型の屋根がフランクフルトの特徴的な屋根の構造になっています。
レーマー

1356年、神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式は、永久にこのフランクフルトで行われることが決められました。
1562年から皇帝の戴冠式は、フランクルトの大聖堂で行われてきました。モーツァルトの時代、ヨーゼフ2世が亡くなってレオポルト2世の戴冠式がここフランクフルトで行われ、モーツァルトがここに駆けつけるのもこういう由来によるわけです。
形式的には、皇帝の選出は、選挙で行われました。そしてこの選挙は、1405年に建築された、市庁舎で行われました。この市庁舎(左の写真)は、レーマー(ローマ人)と呼ばれていますが、これはここで神聖ローマ皇帝の選挙が行われたからです。
レオポルトも手紙で、レーマーに触れていますが、ルネッサンス建築の傑作とされる建物です。



このように由緒ある都市ですが、今日ではヨーロッパを代表する大都市であることはご存じのとおりです。
私は夜遅く、繁華街に迷い込んだことがありますが、路上にたくさんの若者が注射を打ったりしていて、とても気味が悪かったことを思い出します。

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