リ ヨ ン

1766.7.26 - 8.19

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モーツァルトの旅 1
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モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
モーツァルトの旅 4
ブルゴーニュ・ワイン
モーツァルト一家は、パリを6頭馬車で立ち去ったと言われます。
そしてブルゴーニュに行きます。デョジョンを経て、リヨンに行き、ここに約4週間滞在しました。
下は、18世紀のリヨンを描いた絵です。



当時もブルゴーニュのワインは有名だったようで、しかも安かったようです。
リヨンからの手紙によると、酒好きのレオポルトは、さっそくブルゴーニュ・ワインを楽しんでいます。

「私は、あなたとご一家のご健勝を、1杯、 ― いや数杯のブルゴーニュ・ワインで乾杯するのを怠りませんでした。というのは、私がものすごい酒豪であることをご存じだからです。私たちがあびるほど飲まされたこのワインを、ザルツブルクに持っていって、親しいお友だちの酒蔵にしまっておくことができたらなあと、どんなにしょっちゅう私は望んだことでしょう。良質のブルゴーニュ・ワインをそこから汲んでいる酒井戸をほんのちょっとでも見さえすれば、そのひとつを飲んでみようという気持になりますが、まったく安いもので、短い手紙1通の値段で、もうそこに出てくるのです!私は、240本分入る瓶が入る樽をひとつ注文したいほどでした」(リヨン 1766年8月16日)。

夏のブルゴーニュの開放的な雰囲気は、レオポルトをさらにイタリアに誘ったようです。トリノは、ここから目と鼻の先です。
レオポルトは、そのような誘惑に駆られつつ、モーツァルト一家は、スイスに入り、ドイツを通ってザルツブルクに戻るルートをたどっていったのでした。
市庁舎

リヨンは、古くから南フランスの交易地として栄えました。(左の写真は、市庁舎です。)
16世紀初頭にはフランス最初の取引所が誕生し、さらに、絹織物の町として栄えました。
しかし、昔から栄えた街だけに、革命の時代には革命政府の目の敵となり、罪のない沢山の商人が処刑されました。リヨンは今日、フランス第2の都市です。
ローヌ川ソーヌ川の合流点に発達した街でローヌ川の東側には、ビジネス街が広がっています。豊かな自然に恵まれ、川の幸、山の幸を素材にした料理はよく知られるところです。

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