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- スイスへ
モーツァルト一家は、ザルツブルクへ戻るのに、ブルゴーニュ地方からスイスに入り、スイスの各都市に滞在、行きのときに通ったミュンヘンに出るというコースを取りました。
スイスはすでにハプスブルク家の支配から脱して独立を勝ち取っていましたが、政治の混乱はあったようで、、レオポルトは、ジュネーブでは「内乱がさかんに続いているのに会いましたが、それでもそれが、私どもが3週間同値にとどまっているのを妨げることはありませんでした」(1766年11月10日付け)と書き送っています。
- ヴォルテール
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ジュネーヴの郊外のフランス領フェルネーには、啓蒙思想家のヴォルテール(Voltaire 1694 - 1778)が館を構えていました。
レオポルトは、手紙の中でフェルネーについてに触れており、ヴォルテールに会おうとしたとも言われますが、これは実現しませんでした。
後に、モーツァルトは、ヴォルテールが亡くなったとき、パリから、
「あの無神論者でペテン師のヴォルテールが犬のようにくたばりました」
と、書き送っていますが、ヴォルテールへの憎しみは、もし、ジュネーヴでの会見が実現できていたら、もう少し薄らいでいたかもしれません。
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