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- オランダの首都
- モーツァルト一家は、アントワープからロッテルダムを経て、9月10日、オランダの首都デン・ハークに着きました。
オランダは、17世紀にスペインからの独立戦争を勝ち抜き、いくつかの州から成る連邦共和国でした。 ネーデルラント連邦共和国などとも呼ばれることがあります。
モーツァルトが訪れた当時の総督は、。 オランニエ公ウィレム5世( 1748 - 1806)でした。オランニエ公がモーツァルト一家をとても待ち焦がれていたことは、デン・ハークに着いてすぐに、豪華な馬車が迎えに来てくれたことからも窺えます。
しかし、まもなくナンネルが重い病気に罹り、一時は意識を失って、レオポルトも娘の死を覚悟するほどでした。
レオポルトは、ザルツブルクのハーゲナウアーに宛てて、あちこちの教会でミサを執り行ってくれるよう頼んでいます。幸い奇跡的にナンネルは元気を回復しました。今では考えられない瀉血という名の”治療”も行われました。10歳を過ぎたばかりの少女がよく持ちこたえられたことと思います。
アムステルダムから戻ったモーツァルトは、《ヴァイオリンの伴奏を伴うクラヴィーアのためのソナタ K26−31》を作曲し、オランニエ公の姉に当たるヴァイルブルク7妃に献呈しています。
また、《グラーフのオランダ語歌曲「われら勝てり」による8つの変奏曲 K24 》が作曲されたのもこの頃です。
現在、デン・ハークは、オランダ第三の都市で、今日でも、重厚な造りの建物が残されています。
上は、国会議事堂 ― 「リッターザール」です。とても重厚なつくりです。
- フェルメールの絵画
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デン・ハークは、フェルメールの最高傑作が収められている、マウリッツハイス美術館(Mauritshuis Museum 右の写真)で知られています。
オランダ絵画の黄金時代の至宝を、数多くそろえる美の殿堂です。
私は、フェルメールの絵はあちこちで見ていますが、このデン・ハークの美術館にはまだ行ったことがありません。
ここには、「デルフトの眺望」、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」、「ディアナとニンフ たち」などの名画が収められています。
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