ブリュッセル

1763.10.4 - 11.15

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モーツァルトの旅 1
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モーツァルトの旅 2
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当時はオーストリア領
モーツァルト一家は、コブレンツから船を仕立てて、ボンに行き、そこから駅馬車でブリュールを経てケルンへ、そしてアーヘン、リエージュを経て、10月4日にブリュッセルに到着しました。
当時、ブリュッセルは、オーストリア領ネーデルラントの首都でした。
もともとこの国には、オランダ語を話すフラマン人と、フランス語に近いワロン語を話すワロン人が住んでいましたが、これは、現在でも変わらず、公用語などの論争が、今のベルギーでも続いています。オーストリアは、帝国の威信を懸けてこの街を立派にしたようです。レオポルトの目にも、これまで見てきたドイツの街よりも、すこぶる綺麗で、道も綺麗だったと映っています。夜になると街灯が灯りました。
上の写真は、グラン・プラスと呼ばれる広場に面して建っている市庁舎です。グラン・プラスはこのような中世の面影を残す建物が取り囲んでおり、世界文化遺産にも登録されています。
モーツァルト一家が訪れたときは、ちょうど市が開かれており、市庁舎の廊下や部屋、中庭にもいろいろな品物が並べられていたそうです。
ネーデルランド絵画

右の写真は、サン・ミッシェル大聖堂と呼ばれるブリュッセルの司教座大聖堂です。
モーツァルトの時代には、司教座大聖堂は別のところにあったようです。
レオポルトは、ルーベンスの絵を「昼となく夜となく眺め」、ブリュッセル近辺では、たくさんの絵画が見られる、と報告しています。そして、ヴァン・アイク、ゲルハルト・ホントホルスト、ヤコプ・ヨルダンス、ルーカス・ガッセル、ヤコプ・グリメル、パウル・ブリルなどたくさんの画家の名前を挙げています。
当時のオーストリア領ネーデルランドの総督は、皇帝フランツ1世の弟のカール公でしたが、狩りや宴会に忙しく、結局モーツァルトが自慢のクラヴィーア演奏を披露できたのは、ブリュッセルを出発する直前だったようです。

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