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- ポンパドゥール侯爵夫人
- ヴェルサイユから戻ったモーツァルト一家は、ポンパドゥール侯爵夫人(左の肖像画)を訪ねています。ルイ15世の愛人であった彼女の名は、鳴り響いていたようで、レオポルトは、興味津々という雰囲気で、次のように書き送っています。
「ここで話題を変えて、醜悪なことから魅力的なもの、それも国王まで魅惑したものに移りましょう。ポンバドゥ ール侯爵夫人さまがどんなお姿をしておられるか、お知りになりたいのじ々ありませんか?―このお方はかなりお美しかっだにちがいありません。というのは、今でもお綺麗だからです。太柄で日立つお方で、太ってておられ、丈夫でいらっしゃいますが、たいへん均整がとれ、金髪で、亡くなられたフライスアウフのテレーゼルさんにそっくりで、眼のあたりは女帝陛下にいくらか似ていらっしゃいます。このお方はたいへん尊敬され、ことのほか才気をお持ちです。ヴェルサイユにあるそのお部屋はまるで天国のようで、庭園に面しています。それにパリではサン・トノレ廊外地区に、はなはだ宏壮なお館をまったく新しくお建てさせになりました。」(パリ
1764年2月1日)
- クラヴサン
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夫人の部屋には、金箔で塗られ、とても美しく飾られたクラヴサンがあったようです。先ほどの手紙にも、
「クラヴサン(これは金で塗りつぶしはなはだ精巧に漆を塗り、かつ、絵が描かれていますが)のあるお部屋には実物大のこのお方の肖像画があり、そのそばには国王の肖像画があります」
と書かれています。
この時代のパリでもてはやされたクラヴサンは、単なる楽器ではなく豪華な調度品であり、それ自体優れた芸術品でした。響板には花や神話の絵が美しく描かれていました。
右の画像は、この時代にパリでもてはやされたクラヴサン制作家、アンリ・エムシュ(Henri Hemsch)のオリジナルの楽器に基づき、Hubbard
Harpsichords, Incが制作した複製です。
この時代、パリでは、クラヴィーア音楽が花盛りでした。そしてこの分野では、ショーベルト、エッカルト、ホナウアーなどのドイツ人音楽家がもてはやされていました。
「当地では、イタリア音楽とフランス音楽がたえず戦争をしています。フランス音楽はまったくなんの値打もありません。でも今ではひどく変わりはじめており、フランス人たちは今やはなはだしくぐらつきはじめていて、十年から十五年もたてば、フランス趣味は、望むらくは、完全になくなってしまうでしょう。ドイツ人たちが、作品
の刊行の点では主役を演じています。」(一七六四年二月一日付)(注27)
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