初めての中国・瀋陽

幼いころ、中国史の教授だった叔父の家に遊びに行くと、中国の分厚い歴史書がずらっと並んでいて、なんとなくそれを眺めるのが好きでした。
よくやく今回、初めての中国への旅が叶いました。瀋陽音楽学院が招いてくださったのです。

瀋陽は、母が育った街で、その頃の話を聞いたことがありますが、もちろんまったく変わってしまっているのでしょう。フーツォンという昔ながらの家も残っていますが、大きな通りには高いビルが並びます。
今年、国体が瀋陽で行われるそうですが、人口が多い中国の国体は、出場者の数は、オリンピック並み。そして国体が行われるということでインフラ整備の予算が国から下り、環状線から見えるところは、すべてビルになるのだそうです。古い建物は、まだ使えるものであっても次々に取り壊され、ビルに建て替えが行われていました。

瀋陽音楽学院の歴史は古く、北京の音楽院よりも長い歴史を持っているそうです。民族音楽も盛んで、中国の民謡、民族楽器などの専攻生も多いそうです。
ホールの壁には、瀋陽で育った小澤征爾さんが指揮されている写真も。ホテルの近くの楽器屋さんに行くと中国製のピアノもあり、TOYAMAと呼ばれるピアノが多く作られているそうです。

ナンバープレイトがついていない車が多く走っていて、それらの車は捕まると免許剥奪、一生免許をとれないそうなのですが、警察につかまらない自信があるのか、それらの車がクラクションを鳴らしながら猛スピードで走っています。車検とかはないのかしら?と思ってしまうのですが、「
赤はばく進、青こそ注意、横断歩道が一番危険」
なのだそうです。
街のエネルギーとスケールの大きさに圧倒された初日でした。

夜は、瀋陽音楽院の副院長、ピアノ科の主任教授、東京芸大に留学経験のある助教授の先生方が歓迎夕食会を催してくださり、歓談しました。
みなさん日本通。この間、銀座でコンクールの打ち合わせをしたところ、という先生。それに札幌と瀋陽は友好関係にあり、PMFともつながりが深く、今年も8月にPMFが中国で演奏するとのこと。札幌に住んでいたころ、関係者の方とよくお会いしていたので、札幌の話もはずみました。
以前は、ロシア系の教育システムが採用されていたそうですが、今はアメリカ系が中心だそうで、
「時代は変わりました」
との副院長先生のお話でした。

コメント

  1. nishisan より:

    歩行者優先ではなく、勇気優先という説明に妙に納得したものです。札幌、懐かしいでしょう。