モーツァルトの命日

今日12月5日はモーツァルトの命日です。
langeこの日は、家を暗くして一晩中、モーツァルトのレコードをかけながら過ごす、というモーツァルティアンの方のお話をお聞きしたことがあります。

私は、一晩中、家を暗くして・・・なんてことは今までしたことがありませんが、モーツァルトをこよなく愛し、人生の生き甲斐にしておられる、そういうみなさんの気持ちはよくわかります。

去年の今日は、モーツァルトのピアノコンチェルト23番を、神奈川フィル(飯森さん指揮)と共演させていただきました。
「第2楽章の哀しみの旋律は命日にふさわしい」
とおっしゃってくださる方もありましたし、おまけにその日のプログラムは、ハイドンの交響曲「悲しみ」で始まる、という命日コンサートでした。

今年は、
「モーツァルト 天才の没落と悲劇~命日によせて~」
と題し、晩年の曲を集めて弾かせていただきました。
住友ビルから見る夜景が、最後の曲、自動オルガンのためのアンダンテの音と、すっと一つになるような気がしました。

モーツァルトの葬儀はごく近親者によって行われ、だれも埋葬に立ち会うことはありませんでした。
立会人がなかったというのは当時の風習だし、湯水のように金を使っていたから自業自得・・・という見方もありますが、晩年のモーツァルトの作品を弾いていますと、明らかに作風が変わっていっているように感じます。
ふっと彼岸の彼方を見ているような視線が見えるように感じますし、どこか肩の力が抜けたような虚脱感も感じられます。
そこからはかない美しさ、限りない透明感が生まれ、何とも言えない魅力が立ち上ってきます。

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