冬の富良野

早朝の便で旭川空港へ。
札幌に住んでいた頃からのお友達である、大好きな西原さんが、冬の富良野を案内してくださいました。
西原さんの存在が「優しい時間」そのもの。

「北の国から」や「優しい時間」の舞台になった富良野。
拾ってきた家、五郎の石の家、中畑木材、「北時計」「ニングルテラス」、ジェットコースターのようにまっすぐで急な坂など、ロケ地を次々にまわってくださいました。

まずは、「優しい時間」のドラマで一躍有名になった”皆空窯”。
思いがけず、南正剛先生の制作工房にお邪魔することができ、思わずミーハー気分で
「握手してくださいますか?」
先生の手は、硬く大きくそしてしなやかでした。

そこから日本画家 後藤純男美術館へ移動。
ダバダ~ダバダバダッダ~・・・のメロディが記憶に残る、珈琲のテレビCM。
そこに”違いのわかる男”として登場しておられた後藤純男画伯。
スケールの大きな「十勝岳連峰」が目に入ります。ほかに、中国、フランスなどで、四季を見つめ、自然を描いた作品の数々・・・
葉っぱなどこまかいところは、パンフレットや画集で見るより意外にあっさりした平面的なタッチです。
絵はやはり、実物と印刷では、質感が違う・・・と思いました。
今でも冬には富良野で住まわれているとか。騒々しい夏の観光シーズンではなく冬に住まわれ、凜とした空気の中で制作に励まれているとのことでした。

そして「北の国から」の舞台、麓郷へ。ランチのあと「五郎の石の家」、「拾ってきた家」へ。
ドラマの撮影の頃、青年団にいらした方が、今もってドラマの中を生きておられるような熱い口調で、卵の紙製パックで出来た屋根の防寒剤、古いゴンドラを利用した窓など、奇想天外でユニークな家を案内してくださいました。子供の頃、おもちゃの家や基地を作る遊びをしましたが、そういった童心や夢が見事な形になったという感じです。

今は、何でもすぐにお金で買える時代、新宿でもよく新しい家が建ちますが、それこそあっという間に基礎工事が終わり、信じられないスピードでパネルが組み立てられ、すぐに人が住み始めています。
お店も移り変わりが激しく、お店を目印にどこかに行こうと思っても、肝心の目印にしていたお店自体がなくなってしまたり変わってしまったりなんてこともざら。

「森の時間はゆっくり過ぎる」
という倉本聡先生の言葉。
「自然から頂戴しろ、謙虚に生きろ」
という五郎を通じたメッセージが、富良野の大自然から直に訴えてきます。長い撮影期間の中で、町の人と倉本先生やスタッフの絆も深まったことでしょう。

「北の国から」資料館を見学し、新富良野プリンスホテルへ。
倉本先生のご家族が作られた、というオブジェが飾られた薪ストーブが置かれています。
マスターの珈琲の入れ方も”超”がつくくらいのゆっくりペース、そして、お客さんの会話もアンダンテからアダージョ。
慌ただしい普段の東京の生活の中で見失いがちなものが、ここにはあるような気がしました。

亡くなった父が、生前よく言っていた言葉を思い出しました。
「”忙しい”というのは、人を亡くすと書くんだ。たとえ忙しくても人の心を失ってはいけない」

コメント

  1. 久元祐子 より:

    > 富良野市ろくごうは、
    > 六郷ではなく、
    > 麓郷です。
    あ~~!すみません。
    うっかりでした。
    山麓の郷なのに・・・。
    すぐなおします。
    > また来てください。
    > お待ちしています。
    毎朝、とびきりおいしい蜂蜜とともに、感謝の旅の中の風景の1コマ1コマ、「優しい時間」を思い出しています。
    またお騒がせし、恐縮ですが、是非お邪魔させていただきます。
    どうぞよろしくお願いいたします。

  2. nishisan より:

    富良野市ろくごうは、
    六郷ではなく、
    麓郷です。
    また来てください。
    お待ちしています。

  3. nishisan より:

    いっぱい書いてくださり、
    もったいないです。
    ありがとうございました。