ベートーヴェン:作品110のソナタ

ベートーヴェンの作品110のピアノ・ソナタは、長い間弾いてきましたが、練習を含めて、毎回弾くたびに、新しい発見があります。
この曲を最初に弾いたとき、さまざまな箇所で戸惑いました。
限りなくロマンティックな冒頭からどんどん音域が広がり、ついに爆発寸前まで上り詰めていくのです。
52歳のベートーヴェン、その心にあふれるものが、五線紙に入りきらない、ピアノに収まりきらないい・・・ということだったのでしょうか。
第2楽章の、普通では考えられないような跳躍。嘆きと希望の交錯なのかもしれません。
そしてこの曲には至るところに大バッハへの畏敬の念が表れており、インヴェンション、受難曲、フーガ・・・と大バッハを思わせる要素が入っています。

きょうは、第3楽章が曲の中で持つ意味、とくに休符が持つ意味について改めて考えてみました。
音符の向こうから見えてくる、切れ切れの息づかい。息が出来ないほどのあえぎがつまった音楽は、聴いている者に、絶望の淵を彷徨うベートーヴェンの姿を彷彿とさせます。
ピアニシモで書かれた嘆きのアリアの休止符、残酷に時を刻むかのような左手の和音の上に流れる、喘ぎとため息・・・・
左手の和音を弾くときはペダルを伴いますが、休止符の瞬間、いかにペダルを離すかで、その息づかいが決まります。長年、私は、この「切る」という勇気がなかなか出ませんでした。ボソっと切れるような気がして、美しさを損なうことを怖れていたのです。
きれいな音を出したい、という、当然と言えば当然の欲求からの脱皮が求められていたのです。
この曲には、弾き手に自分の殻を破らせ、精神力を問うようなところがあります。

ベーゼンドルファーのダンパーは、スタインウェイに比べて平らに出来ている箇所が多いのが特徴です。スタインウェイのダンパーは山切りカットになっていて、鍵盤を離せばシュパっと音が切れます。切れ味がいいのです。
ベーゼンドルファーのダンパーは人間の声のようにジワッと音が切れます。
ペダルを切っても豊かな残響が残るインペリアルではなおのこと、行き詰まるような切れ方がむずかしい・・・

試行錯誤は今日も続きます。

コメント