神戸ゆかりの美術館「小松益喜展」

ファッション美術館 の隣りに 神戸ゆかりの美術館 があります。。
ちょうど今日まで、「小松益喜展」が行われていて、運良く鑑賞することができました。

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「異人館の画家」として知られた小松益喜(1904-2002)が、97歳の生涯を閉じてから、今年でちょうど10年。
小松画伯は、東京美術学校を卒業後、生まれ故郷である高知に一度戻り、再度上京をする途中で立ち寄った神戸の街並みに魅了され、制作の拠点としたそうです。
イーゼルと絵具箱を担いで神戸の町を小走りに移動し、道端にイーゼルを立てて制作した画伯は、神戸の人たちから親しまれたようです。
小松画伯がそのようにして、兵庫県公館を描いているのを道端で見ていた主人の母が、その画家さんが高名な小松画伯とは知らず、
「すいません。その絵を売ってくれませんか?あの建物は昔、県庁として使われていて、私の主人が勤めていたんです。ですから、記念にしたいんです。」
とお願いしたそうです。もう30年くらい前のことかもしれません。
その絵は、今、神戸の我が家の居間にあります。

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熱心にキャンバスに向かい描きとめられた作品の中には、戦争や都市開発、震災、火災等により姿を消し、今日ではもう見ることができない風景も少なくありません。
「この絵の建物は、もうないんですよ。」
とおっしゃる学芸員さんのお言葉に、小松画伯によって永遠に残されたフランス料理店などの貴重な建物が、永遠ではなかったことを感じました。
小松が愛してやまなかった北野町の異人館の数々や戦前の旧居留地風景など見ているうちに、この展覧会のタイトルである「小松益喜と歩く神戸風景」に不思議な懐かしさを覚えました。
見たことがあるような、ないような異人館の建物。一種独特の異国情緒漂う通り。小松が好きだった小道。
ユトリロに憧れていたそうで、風景の中にユトリロの描くパリの風景や坂道、雪景色と重なるところがあるのですが、小松の描く神戸の姿には、独特の温かさがあります。人が描かれていることがほとんどないのですが、物干し竿や植木鉢など、絵の片隅に人の生活の匂いがするのです。薄曇りが最も美しい色合い、と感じていた小松の絵は、季節ごとに薄曇りの絵が多いのですが、晩年になってだんだんと明るい天気になっていきます。

95年の阪神・淡路大震災で小松氏のアトリエも倒壊。そこから幸運にも運び出された作品400点あまりが、神戸市に寄贈されたそうです。

常に現場主義で、自らの足で歩き、その場でスケッチをしていた小松画伯。
神戸の空気が絵から伝わってきます。
最晩年、外にスケッチに出ることができなくなった小松画伯の最後の絵は、「本・本・本の静物」。

神戸ゆかりの芸術家たちの絵も展示されていて、赤だけで濃淡をつけた松本宏さんの「赤の中の群れ」、音楽が聞こえてきそうな田中徳喜さんの「ローズバイオレットのアリア」、独特のアイロニーを含む貝原六一さんの「羊の群れと行くドン・キ・ホーテ」など、個性豊かな神戸画壇の作品とともに、過ごしたひとときでした。

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