映画「カルテット!人生のオペラハウス」

今年は、ジュゼッペ・ヴェルディ生誕200年記念の年に当たります。
音楽雑誌や音大図書館の展示でも、ヴェルディ特集が組まれるなど、何かと最近話題のヴェルディです。

今日は、空き時間に映画「「カルテット!人生のオペラハウス」を鑑賞しました。
ヴェルディが私財を投じてミラノに建てた「音楽家のための憩の家」をヒントに生まれた映画です。

「リゴレット」の四重唱を、ガラコンサートで披露するまでの、元オペラ歌手、元夫婦の人間模様と感情表現が描かれます。
プリマ・ドンナ気質が抜けない女主人公がホームに入居するところから映画は始まります。最後は、4人のガラ・コンサートのシーンなのですが、なぜかここは、パヴァロッティとサザーランドの名録音が流れます。

ダスティン・ホフマンの初監督作品。期待して出かけたのですが、感動はありませんでした。
オペラは”夢”を見せるものなのに、”現実”を見せてしまっていました。それが希望にも愛にもつながっていかないように感じてしまいました。
「私はもう高音は出ないわ」というソプラノ元ディーバ(マギー・スミス)、日常生活でも記憶があやしくなってしまう善良なメゾソプラノ(ポーリーン・コリンズ)らのセリフや演技からは、真の歌手の匂いが伝わってきません・・・。

結局一番のシーンは、トリであるカルテットの前に歌った本物歌手、ギネス・ジョーンズの健在ぶり!

歌手としての立ち居振る舞い、舞台での演技、客席を前にしたときの視線・・・オペラ歌手が長年の間に身に着けたそれらの「気」を映画撮影の期間のみで身に着けることは、名優であっても不可能ということを証明したような映画になってしまいました。
ダスティン・ホフマンがこの映画で表現したかったことは、年を重ねても生き生きと生きる姿を、ユーモアを交えて描きたかったのだろうと思われますが、ブラックジョークにしか感じられず、身につまされるようで、いい気持ちはしませんでした。

救いは、イギリスを舞台にしたホームの建物と自然の美しさ。
オペラ活動に疲れた主人公の心を癒して、愛を復活させていくことになる自然の力。
その自然の風景には心和みました。

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