シューベルトの《鱒》@神戸

神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ 六甲の間で開催されました「国際ソロプチミスト六甲30周年記念コンサート」で、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を祝賀演奏させていただきました。ショパンやリスト、シュトラウスなどロマン派のピアノ・ソロに続き、辻井淳(ヴァイオリン)、李善銘(ヴィオラ)、細谷公三香(チェロ)、永島義男(コントラバス)の各氏が登場。私にとっては、久しぶりの「鱒」。楽しいアンサンブルの機会をいただき感謝です。

前回ペーターズ版で弾いたのですが、今回は最新のベーレンライター版で演奏することに。
Cresc.がdim.になっていたり、付点音符が無くなっていたり、、、かなりの違いです。シューベルトの室内楽はエディションを揃えるのが練習の能率を上げるための第一歩ということを痛感しました。初めて伺う三宮の「こうべがくふ」で急遽揃えてGPに臨んだ次第。「こうべがくふ」のご主人もスタッフの女性も、棚の隅々まで知り尽くしておられ、他の探し物などもすぐ見つけてくださり、有難かったです。大型CDショップで「そのCDはありませんよ」とすげなく言われてとぼとぼ帰る途中、棚の中にあるのを見つける・・・なんて経験が何度かありますが、真のプロフェッショナルがおられるお店はミュージシャンにとって心強い限り。

おかげでなんとかGPに間に合いほっと一息。

この曲は、第4楽章がとっても有名。歌曲「鱒」のメロディが始まり心が浮き立つ楽章です。歌曲では、釣り人が鱒を釣りあげるまでが描かれていますが、水や鱒の描写、釣り人と鱒を見ている主人公の心理描写などをシューベルトは見事に音にあらわしています。

美しい第2楽章の調の動きも考え抜かれています。平穏、不安、絶望、希望が交錯する中、弦とピアノが掛け合いリズムを受け渡していきます。

シューベルトが勤め人を辞して、作曲家として自由なボヘミアン生活に入った頃の作品。水の中を自由に泳ぐ鱒と当時のシューベルトの心情を重ねていると分析される論文も発表されていますが、真偽のほどはどうでしょうか。詩の中で鱒は漁師に釣られてしまうのですから・・・。

いずれにしましてもオーストリアでは、鱒は伝統料理です。故イエルク・デームス先生のもとで勉強した夏、レストランで「今日は冷凍でなくとれたての鱒がある!絶対に食べろ!私は喉に骨がささったことがあるから鹿のステーキを食べるけど。」とデームス先生が仰ったシーンを思い出しました。華やかで楽し気なフィナーレの音型を弾いていると、ウィーンの人たちの賑やかなお喋りが聴こえてきそうな感じがしてきます。

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