ペルージャのピアノフォルテ

イタリア、ペルージャに工房を持つペトロゼッリ氏によって制作されたワルター・ピアノフォルテ(1795年モデル)を弾き始めて数か月がたちました。そのご縁で、ペルージャのコンセルバトワール教授でもあるファビオ・チオフィーニさんが来訪され、国立音大をご案内したり、音楽談義とともに楽しいひとときを過ごしました。

ペルージャと言えば、サッカーで有名です。”NAKATA”さんの名前は、ペルージャで知らない人はいない!とか。

私が初めてペルージャの地名を知ったのは、須賀敦子さんのエッセーによってでした。以来、一度は訪れてみたい憧れの街の一つです。そして縁あって、弾き始めることになったペルージャで制作されたピアノフォルテ・・・。

古楽器奏者のファビオさんは、時代としてはベートーヴェンまでをレパートリーにしておられます。そしてモーツァルトを現代のピアノで表現するのは、自分にとってはあり得ない!と断言しておられます。歴史的楽器から学び、それを現代のピアノの演奏にも生かしたい、という姿勢とは真逆と言ってよいかもしれません。

ペルージャでは、古楽器を学ぶ人が増え、愛好家も増えているそうで、古楽器音楽祭も毎年開催されているとのことでした。歴史あるペルージャという街の雰囲気にも、古楽器は現代楽器より似合っているのかもしれません。

今回、さらに大きなマーケットを求めて日本進出も視野に入れての来日でした。けれど、古楽器というのは、大きなマーケットと相いれない楽器でもあり、静けさと微細な音色の変化を聴き分けることができる広さは、どちらかと言えば息遣いが伝わる狭い空間のほうが好ましいわけです。古楽器が好きな人が好きな人のために、親密な雰囲気の中で演奏してこそ生きてくる魅力を持った楽器です。

そういう意味で、古楽器オーケストラを主宰しておられるファビオさんたちのご苦労は、並大抵のものではないと思われました。

手間のかかる古楽器の調整、楽器の運搬などにかかる費用、それら頭痛の種があってもなお、古楽演奏のみを続ける魔力が、古楽器にはあるのだと思います。大音量で轟かすことができなくても、聴き終わってじわっと心に残る音色の魅力。その森に分け入ると後戻りできない魔力を持っているのでしょう。ファビオさんが、友人のフラウト・トラヴェルソ奏者の親友と一緒に演奏してくれた音色を静かに聴きながら、ミューズの神様が微笑む日が来ることを祈らずにはおれませんでした。

ところで、自分の楽器を他のひとの演奏で聴くのは、面白いもので、ある程度の距離を置いて自分の楽器を聴くことによって、意外な個性が見えてきたりします。楽器と人との関係は、人と人との関係にも似ていて、普段知らなかった面を別の人と一緒のときに発見したり、他の人によって別の魅力が引き出されたり、異なる個性を発揮したりすることもあるのです。

お土産にいただいたペルージャの伝統工芸のお人形がピアノフォルテの傍で微笑んでいます。いつか、憧れのペルージャを訪れてみたいと思っています。

ペルージャ

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