原稿を書く

明日締め切りのモーツァルトについての原稿を昨夜2時間で書きました。
原稿用紙20枚ほど。
日ごろ鍵盤に向かいながら積もってきている思いを書きつづっていくと、2時間で8000字はあっという間です。

文筆業の方に比べて、書くのが速いのか遅いのかわかりませんが、およそ1秒に1文字の計算です。
頭の回転が遅いわりに書くのが速いのは、10年ほど前にブラインドタッチをマスターしたおかげかもしれません。

でも井戸端会議に毛がはえたような書きなぐりの文章を推敲して、完成させるのには3時間ほどかかってしまうのです。
苦手な作業がどっと押し寄せてきてストレスがたまる瞬間です。
でもここでちゃんとしておかないとあとでツケが回ってきます。
あとあとまで残る文字たちから「怠け者~!」と叫ばれ、後悔することになるのです。

30年ほど前の東大では、レポートや試験など、すべて万年筆で書かせたという話を聴いたことがあります。
パソコンで文章をつくりあげていく作業を、すべて頭の中で行い、完成させることができる頭脳を育てるということなのでしょう。

文章を書くのとは少し話が違うかもしれませんが、
ショパンは、自分の書いた楽譜の校正が嫌いで友達任せにしていたとか。
たしかに、流れるがごとくピアノを弾いたであろうショパンが、チマチマと校正ミスのチェックをしているという姿は想像しにくいですね。

でもそのせいで、ショパンの楽譜には、後世の人間を迷わせる何種類かの違う楽譜が存在することになりました。
出版のときに、フランス語版、英語版、ドイツ語版と3種類の楽譜が出版され、
それぞれ違う音符になっていてもそのまま出版されてしまったり。
おまけにお弟子さんのために、書き込みを入れたものが、それはそれで美しい別バージョンになっていたりするので、話は複雑です。

真面目学生だった頃は、こういうエディションごとの違いに、戸惑い、いろいろと迷い、学者さんごとに違う見解をそれぞれ読んでますます迷ったものでした。
最近では、美しいのはどれ?という自分の感覚を信じ、学説は学説として受け入れたのちに自分なりの判断ができるようになってきたように思います。
逆に、なんとなくおかしいな?と思っていたことが何年かたって学説で証明されたり・・・といった瞬間は、膝を打つ思いがします。

なにはともあれ、20枚の原稿用紙を13枚に仕上げ、編集長さまにメール送信した瞬間、外の空気が吸いたくなりました。
ピアノを5時間弾いても疲れないのに、パソコンの前に3時間いると体がSOSを発信するのです。

自分へのご褒美?!ということで荒木町に繰り出し、ENCHANTE というお店でぷりぷりのムール貝をいただき、明日からの活力にさせていただきました。

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