ロバート・レヴィン 東大講演

ロバート・レヴィンさんの講演会が本郷の東大キャンパスで行われました。
夜の赤門をくぐり安田講堂へ。東大生、というと牛乳瓶の底のような分厚いメガネをかけ、厚い本を読みながらもさもさ歩く、というイメージでしたが、そんなのは、昔のこと。
構内を歩いている女子学生はすぐに芸能界にデビューできるような睫毛パッチリの可愛い女の子たち。
すらっとしたイケメン青年もずらっと並んでいて、隔世の感あり。
東大の建物は重厚で、
「椅子が古いので気を付けてお座りください」
というアナウンスも、逆にありがたく感じる一種独特の雰囲気です。

 ピアニスト、作曲家、音楽学者、ピアノ教育者、として八面六臂の活躍のレヴィンさんの講演。
講演は、エネルギーと情熱にあふれた魅力的なものでした。
最初はゆっくりとした噛んで含めるような英語で、わかりやすく始まりましたが、頭が回転を始めたのでしょうか、どんどんテンポが速くなり、すごいスピードでバシバシ進んでいきました。
レヴィンさんが10分しゃべり、通訳の森泰彦准教授に向かって「君に時間をあげよう!」と通訳を促す、という進め方。
10分の英語に対して1分の日本語通訳。 こみいった即興の話など、この間に通訳できるわけがありません。
「は?」という感じの方も多く、女性トイレに入ると、
「まったくわからなかったわね」「音楽に縁がないものねぇ。わたしたち」
という声も聞こえてきました。

「知の冒険」を力説されるレヴィンさん。
演奏は、危険でなければならない!と力説。
「新しい曲は古い曲のように弾け。古い曲は新しい曲のように弾け」
というベルクの言葉を引用。
現代の楽器と歴史的楽器を行き来し、さまざまな作曲家を演奏するレヴィンさんのアプローチにはある意味、共感を覚えました。
ただ、KV488の第2楽章で、高い音と低い音が書いてある箇所は、最初の音と最後の音が書いてあるだけだから、間を埋めないといけない、という主張にはやや違和感を覚えました。
そのままその2音を弾くのは滑稽だ!と、あえて乱暴な音で2音を弾かれたレヴィンさん。
たしかにそういう乱暴な音で2音だけ弾くと滑稽なのですが、二つの音の間を音で埋めずに、空間に単音を響かせ、その余韻や間の美学で哀しみを表現するやり方もありなのではないか、と思いました。
特に音を豊かに出せる現代の楽器では、その方がむしろ哀しみが伝わるのではないか、とも感じました。
すべてを才気煥発な即興で埋めていかなくてもいい場所というもの存在するように思えた瞬間でした。
間の美学、というのは、もしかしたら東洋的な感覚かもしれません。

 知性に共感し、感性の部分で少しだけ違和感を感じる ― それはもしかして国民性の違いかもしれないし、感覚の領域の違いなのかもしれません。
 いずれにせよ、講師、通訳、司会、スタッフのみなさんをはじめ、この講座にかかわったすべての方たちの知能指数の高さを感じた一晩でした。

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