「英雄」、そしてツィメルマン

「音楽作品に見る『英雄』イメージ ~ベートーヴェンとショパン~」
と題し、新宿・朝日カルチャーセンターで、4時から5時半までの90分、レクチャーコンサートをさせていただきました。
たくさんの皆様がお聴きくださり、ありがとうございました。
「英雄」を切り口に、ベートーヴェン、ショパン、そしてシューマン、リストにまで広げながら、それぞれの作曲家の英雄像、音楽観、人生観についてもお話しさせていただきました。

ベートーヴェンの「英雄」シンフォニー、「葬送ソナタ」、「エロイカ変奏曲」、ショパンの「葬送ソナタ」「英雄ポロネーズ」など。

英雄を待望する19世紀の風潮の中で現れたナポレオン、そしてヒロイックな世界を体現する芸術作品の数々、また英雄の死の描き方を通じて人生観まで音として立ち現れる音楽の世界。
同じ題材、同じ形式を使っているからこそ浮かび上がってくる作曲家の個性の違い。影響の受け方と表現の差。

このテーマについては、20年ほど前から興味を持ってきました。
レパートリーを広げていく中で、少しずつお話の内容も膨らんでゆきました。
たくさんの質問をいただき、住友三角ビルを出発したのが5時。
地下鉄に飛び乗り、ダッシュでサントリーホールに向かいました。

クリスチャン・ツィンメルマンのピアノ・リサイタル。
後半からしか聴くことができませんでしたが、雄々しい舞台姿、ずば抜けた美音と完成度の高い演奏、まさしくポーランドの「英雄」の演奏会でした。

お客さんの熱狂もいつになく高く、若い人(おそらく音大生も集合していたと思われます)の姿が目立つ客席でした。
いかにも「この曲、知ってます」というような拍手という意味ではなく、最後の音が終わるか終わらないかのうちに怒濤のような拍手とブラボーの嵐がわき起こります。クラシックのピアノリサイタルでは珍しい現象です。

後半は、ショパン、ソナタ3番、舟歌の2曲。
耳の良さと歌心とピアノの鳴らし方が抜きんでいていて、全ての音を両耳がとらえ、響かせていきます。
うっとりするような高音の美音のためにテンポを落とし、甘美な音世界を創りあげたり、エスプレッシーヴォのために和音の響かせ方も残響まで計算に入れ、譜面の1,5倍くらいまで引き延ばしたり・・・。
音の効果と和声の意味と全体の設計を見事に磨き上げた演奏でした。

聞くところによると彼は、演奏会のときは、いつも自分の楽器を持ってくるそうで、
「いい演奏のために、自分が完璧にコントロールできる自分の楽器を弾くのは当たり前」
と言い切る人です。
低音の調律を低めにとっていて、少しうなるくらいの強さでベースを鳴らしていました。そして高音は逆に星のきらめきのような光に満ちた音に調整され、その微妙なバランスとコントロールで次々にロマンを語っていきます。
ときどき本人の歌声が漏れ聞こえ、器楽型の演奏家ではなく声楽型のピアニストであることを実感した一晩でした。

アンコールはなし!
彼の主義のようですが、本プロで勝負。しかも完璧な演奏で臨むという堂々とした姿勢。

お弟子さんに88鍵すべての音を、自分が何回タッチしたか調べさせて、それをもとに自らピアノの調整を行ったという話を聞いたことがあります。弾いた回数によってハンマーの減り具合や狂い方など微妙に違うからです。
本プロで、最弱音から最強音まで鳴らしきり、微細な狂いも感じることができる彼の耳にとっては、アンコールでまだ演奏を続け、お客さんサービスをすることは、ミューズの神への裏切り行為にあたるのかもしれません。

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