「モーツァルトにおけるディナーミク」

モーツァルティアン・フェライン例会が渋谷の「松涛サロン」で開かれました。
私は、「モーツァルトにおけるディナーミク」をテーマに、レクチャー・コンサートをさせていただきました。

会長はじめ、すべてモーツァルトを深く愛しておられる皆様ばかりで、多少マニアックなお話をしても熱心に聞いてくださいます。
1年ぶりにお会いする懐かしいメンバーの方、遠くからいらしてくださる素敵なお客様、趣味でモーツァルトを演奏されたり、オペラのアリアを歌われる方などそれぞれに個性あふれる方ばかりです。

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今日のお話は、モーツァルトが残した、後世から見れば不完全な記号を、演奏家がいかに解釈し、音符の向こうにある「心」に近づいていくか・・・という、正解があるわけではない世界のお話。

お話は、スコアに関することから始まります。
後世の私たち演奏家がふつう頼りにするスコア、それが原典版です。
原典版は、作曲者が直接、間接に残した記述をもとに、作曲者以外の独自の解釈を排除して、作曲者の意図をできる限り忠実に伝えようとする版。
作曲者が書き残した自筆譜、また、作曲者の意図が反映されていると考えられている同時代のスコアをもとに編集された楽譜です。
原典版は、モーツァルトの死後に出された根拠のない改変を排除し、モーツァルトの意図をできる限り忠実に伝えることを目的としています。
原典版の代表が、ウィーン原典版とベーレンライター原典版。

さて、後世の演奏家は、過去の作曲家の作品を弾こうとするときには、音高、音価、テンポ、ディナーミク、アーティキュレーション、装飾音などさまざまな情報を必要とします。
しかし、原典版には、それらが不足しています。
なぜか。
ひとつには、モーツァルトが残したスコアが、当然のことながら同時代の人々を対象に書かれたため、あえて記すまでもない暗黙の了解があった演奏慣行は記されなかったからです。
モーツァルトの時代には、演奏者の判断に委ねられる余地が大きく、それらもスコアには記されませんでした。
また、モーツァルトは自分で演奏する時は、即興で演奏できたため、自筆譜には最小限の情報しか書き込まれなかったこともよくありました。

とくにディナーミクについては、ごく控えめな指示しか残されませんでした。
たとえば、有名なハ長調K545のソナタには、ディナーミク指示はまったくありません。

きょうは、最初のソナタのグループ6曲から何曲かを取り上げ、私なりのディナーミク解釈をお話しさせていただきました。
てがかりは、モーツァルト自身が残した言葉、そして、同時代の音楽家、たとえば、父レオポルト・モーツァルト、テュルク、クヴァンツの著書に書かれていることがらです。

ひととおりのお話と演奏を終えると、ピアノをなさっている会員の方からは、ペダルの使い方とピアノの機種についての鋭いご質問をいただきました。
こういう会員の方お一人お一人と踏み込んでお話しをしたい・・・と思いつつ、2時間の制限時間があっというまにやってきて、会場を後にしました。

毎年、温かく迎えてくださるフェラインの皆様に御礼を申し上げます。

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