イェルク・デームス:ピアノリサイタル

デームス先生83歳。
東京文化会館小ホールでリサイタルが催されました。
今朝の新聞記事で逝去が報じられたフィッシャー・ディースカウ氏の伴奏者としても知られます。評価の高い「冬の旅」で何度も共演されてきたピアニストであり、盟友でもあります。

一昨日に来日されたようですが、時差もなんのその。
バッハのパルティータ1番の美しい響きが文化会館の空間を満たし、「デームス健在!」の一夜が開始しました。先日、青山でばったりお会いしたときとは別人のようで、ピアノの前、ステージ上、聴衆の前では、10歳も20歳も若返り、ゆっくりめとはいえ、しっかりとした足取りでピアノの前に登場。

ほとんど体を動かさず、今はやりの演出は一切ありません。
けれどそこから湧き上がる音楽のなんとファンタジックなこと。微細な音色の変化、デームス節というような独特の揺れ、演奏を聴きながら、先生の言葉がいろいろ心をよぎりました。
「Yuko。ここで本当の静寂を学んで帰るように!」

「音楽の道は茨の道」
「弾けるようになったら、決して機械的な音をひとつも出さないように」
とスケールの練習すら許さなかったデームス先生。
その指先からは、生きた歌が次々に生まれだされていました。

ウィーン三羽烏の一人、と呼ばれますが、亡きグルダ、そして健在のスコダ、デームスの三氏は、なんと異なる個性の持ち主でしょう三羽烏の中で、デームス氏は、最も孤高の人、という言葉がぴったりの気がします。
「「すみません」という言葉は一生に2回か3回以上言うな!」
「自分に嘘をついて天国に行くくらいなら、正直に生きて地獄に行ったほうがいい」
と毒舌家でもあります。

室内楽や声楽の伴奏は天下一品。
デームス氏とずいぶん前に連弾をさせていただいたとき、
「このモーツァルトのト長調の変奏曲、私は母と連弾した」
とおっしゃっていました。歌心をデームス氏に伝えたお母様はどんな方だったのでしょう。

「リストは作曲家ではない!」
とレッスンを拒否。リストの楽譜さえ見てくれなかったという友人がいましたが、彼のレパートリーは、はっきりとラインが引かれています。
「リスト以降は、絶対に弾かない!」
とおっしゃり、現代曲はレパートリーに入れない方ですが、ご自分が作曲された曲は演奏されますし、ドビュッシーも好んで弾かれます。フランス語も堪能でショパンもレパートリーに入っています。

自分がまったくボケないのは、バッハをすべて暗譜しているからだ、とおっしゃっていました。
超人的な偉業の陰には、ピアノに人生をささげた膨大な努力の時間があるのでしょう。

モーツァルトのアダージョ、ロ短調が、美しく哀しく響き、心に残りました。
後半は、生誕150年のドビュッシー。
「前奏曲」「映像」「ベルガマスク組曲」 ― それぞれから「月」のイメージの曲を3曲。
先生ならではのこだわりのプログラムです。最後はフランク協会会長でもある先生のお得意、「前奏曲、アリア、終曲」。

ショパンとドビュッシーのアンコール2曲のあと、まだまだ弾けるが、今日のところはここでやめておこう、という感じでステージをあとにされておられました。

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