旧ブリーデイ別邸庭園

快晴の日曜日。イタリアの太陽がさんさんと照っています。
ロヴェレート近郊に出かけました。
まずは、旧ブリーデイ別邸庭園です。
ブリーディ男爵(Giusepe Antonio Bridi 1763 – 1836)は、ロヴェレート出身の貴族でした。ウィーンでモーツァルトのフリーメイソン仲間となり、モーツァルトのオペラ「イドメネオ」に出演したりしています。
ブリーディ男爵は故郷のロヴェレートに広大な土地を持っており、その庭園の中に、尊敬する芸術家たちのための記念碑を建てました。

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庭園は、2つのエリアに分かれていて、「論理」を表す公園と、「情緒」を表す森から出来ていると言われます。その中間あたりに「バランス」をとるように小神殿が置かれ、ブリーディ男爵が尊敬する芸術家たちが描かれています。
モーツアルトもその一人。「ザルツブルク出身。音楽と芸術の天才」と書かれています。
丸屋根は、普通8本の柱で支えられるのだそうですが、この小神殿は、7本の柱。7という数字は、フリーメーソンで大切な数字です。戦争で爆撃を受け、雨漏りしたりするそうですが、モーツァルトの顔は、判明できました。

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当時は、ヒマラヤ杉、海の松など遠くの木を移植するのが流行りだったそうで、森には、様々な木が植樹されています。庭の一番日当たりの良い場所には、養蜂場、ハーブ園、レモン温室があり、森を過ぎたあたりに、モーツァルトの墓標がありました。

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ブリーディ男爵はドイツ語でモーツァルトと話していたので、墓標はドイツ語。
「音楽的思考の力による精霊の王、魂の神様」

後ろには川が流れています。当時、「死」のあとに「流れる」という思想があったそうです。
ベートーヴェンの「葬送ソナタ」の第4楽章を想い出しました。ショパンの「葬送ソナタ」では、第3楽章「葬送曲」のあとに、虚無の風が吹きますが、ベートーヴェンの「葬送ソナタ」では、第3楽章の後には小川が流れるような終楽章が続きます。悲しみを洗い流すかのような音楽です。

ブリーディ男爵は庭園の中に小さな教会も建てています。フリーメイソンの象徴的なシンボルとして、三角形や瞳の形がデザインされています。
ラテン語で「罪深い人間の避難所」と書かれてありました。

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ブリーディ男爵は自分の墓まで生前作っていたそうですが、コレラで亡くなったため、モーツァルトと同じくお墓に入ることができず、ほかの場所で埋葬されました。ここには墓標のみが残されています。

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