映画「レ・ミゼラブル」

子供のころの愛読書というか、擦り切れるまで何度も読み、何度読んでも涙が出た本が「ああ無情」でした。
ジャン・バルジャンになりきって恐怖におののいたり、絶望したり、愛に涙したり、、、、本の中に入り込んでいた少女時代です。

「レミゼ見た?」と言われたときは何かわからなかったのですが、今話題の映画、41万人が感動したという映画「レ・ミゼラブル」を観ました。
「この映画を見るのには、吸水の良いタオルが2枚必要です」
というFB友人の書き込みがあったりして、見ないわけにはいかぬ!と試験審査が終わった翌日、大いに期待して武蔵村山まで出かけ、鑑賞してきました。
受付のお嬢さんは、「人気があるので混んでます」とおっしゃいましたが、ブームが終わったのか、会場はすいています。
大画面に映し出される大音量の大スペクタクル、大掛かりなセット。
おそらく製作費も巨額だったに違いありません。
ミュージカル仕掛けになっていますので、大いに時間もかかる映画。9時45分に始まり、1時近くまで。
筋自体、感動しないわけにはいかないストーリーですし、場面場面が大迫力で迫ってきます。

けれど子供のころの大きな大きな感動は、残念ながら味わうことができませんでした。
なぜなのだろう・・・。
と、そのことを考えてしまいました。
子供のころの感性がにぶってしまったのか、本による感動のほうが映画よりイマジネーションをかきたてられるのか。。。

まず、ずうっと絶え間なく音楽が続くことに耐えられないのかもしれません。
そして音楽が言葉の道具になってしまっていることに抵抗があるのかもしれません。
音楽がなくてもよい場所を、音楽にしてしまっているように思えてならないのです。
途中から耳が大音量に耐えられなくなってきて、耳に詰め物をしてみました。
ボワーとした耳を押さえ、ほっとした気持ちで映画館をあとにしました。

目の疲れ、肩の疲れ、足の疲れ、など、すぐにわかる疲れもありますが、「耳の疲れ」を意識しない人が多いそうです。
以前、音響学会で、「耳の疲れ」が深刻な問題であるというお話を聞いたことがあります。
世の中がどんどん大音量に慣れてきて、大迫力でないと感動しないようになると、耳疲労の人が潜在的に増えていくのでは・・・と思ってしまいました。

コメント

  1. yuko より:

    toshimiさん、ありがとうございます。やはり「耳」疲れでしたよね。今日、長野県原村のチェンバロ奏者の方にお会いしましたら、「映画は大好きなんだけれど、最近の映画館の大きな音に耐えられなくてすっかり映画を見なくなってしまった」とのことでした。
    いっときの興奮と熱狂の映画より、心に染み入るような静かな映画のほうが、ずっとあとあとまで記憶に残るように思います。
    「すぐれた魂をもつ言葉は豊かな言葉で表現されるべき」
    同感です!

  2. Toshimi.A より:

    映画「レ・ミゼラブル」は感動しないわけにはいかない・・という気持ちで出かけていったことは確かですが、私も「耳疲れ」を起こしてしまいました。台詞もなにもず~と続く音に頭が疲れてしまいました。
    ミュージカル舞台で見れば違和感がないのかもしれませんが・・・。
    ブログを読ませていただき「わが意を得たり」という気分でした。あまりみんなが絶賛するので、私の感性に問題あり?と思ってしまいました。小説はすごいです。少年少女世界名作文学全集「ああ、無情」で読んだ感動をはるかに上回りました。すぐれた魂をもつ言葉は豊かな言葉で表現されるべきものでしょうね。
    それを気付かせていただき、感謝です。