ストラヴィンスキーの原始主義

「~原始のエネルギーはどう楽譜化されたか~」というサブタイトルも付けられ、国立音大・音楽研究所の講演が行われました。
白石美雪先生のナビゲートで始まり、池原舞さんによる「春の祭典」についての発表。

今年は「春の祭典」初演からちょうど100年です。
総合芸術としての「春の祭典」について、バレーの側面からと音楽の側面から発表されました。
この初演には、4人の人物が関わっています。
ロシア・バレー団率いるセルゲイ・ディアギレフ、舞台、衣装などを担当したニコライ・レーリッヒ、振付のヴァーツラフ・ニジンスキー、そして作曲家イーゴル・ストラヴィンスキー。
テーマの決定では、レーリッヒが「チェス・ゲーム」、「偉大なるいけにえ」の2案を提示、バレー作品として後者が採択されたそうです。
リトアニアの民謡も使われているこの作品。
「いけにえの死をもって、大地の生を讃美する」という筋書きになっています。
初演時に客席が騒然となったのが、序奏のときだったのか、幕が開いてバレーが始まってからだったのかは、記録ではわからないそうですが、いずれにせよ、世間に大きな衝撃を与えた「春の祭典」。

第1部の「大地への崇敬」と第2部の「いけにえ」の2部で構成されています。

300歳の老女(預言者)、そして若い娘たちが春の喜びを踊り、賢者が大地にキスして大地が目覚めるところまでが第1部です。
第2部では自然を体現するクマの皮をかぶった男たち、そして死ぬまで踊り続けることによって生贄となる選ばれた乙女。
その生贄の踊りで幕を閉じます。

レーリッヒは、第1部の「生」の表現として、舞台に、青い空、緑の大地、中央の太い木などを配置し、赤や黄色の色の衣装で、エネルギーと喜びを表現しています。
第2部の「死」の表現では、黄色と黄緑と灰色を混ぜた空の色にし、衣装は、白を基調としつつ、暗い舞台にしています。

ニジンスキーは、原始的な生の表現として、どこかおびえているような内股でぴょんぴょん飛び跳ねる動作を、そして、「死」への苦しみの表現として、身体をアンシンメトリーな型で硬直させたまま垂直に飛び上がる動作を用いました。

ストラビンスキーによる「生と死」の表現について最後に発表されました。
「生命が脈拍のある時に存在するように、音楽はリズムのある時に存在する」
ストラヴィンスキーが、大地の踊りのスケッチの傍らに書き付けた言葉です。
躍動感を表すアクセント、生き生きとした動き、そして短い断片の繰り返しによって生が表現されます。
一方「死」の表現については、ピーター・ヴァン・デン・トゥーンのリズム構造分析が取り上げられました。聴き手の予測を裏切る変拍子などが奏者に緊張感を与える、との発表については、会場から質問がありました。

「変拍子は、第1部の”生”の表現にも使われているのでは?」
「奏者への緊張感というより、楽器の特性を考え、緊張させないように創られている部分もあるのでは?」
などなど。。。

「それでは、池原さんにとって”ストラヴィンスキーの死の表現とは何かお聞かせいただけませんか?」
という穏やかな女性の質問に対しては、
「・・・・」

「生と死とは表裏一体なのではないか?生は死に向かって時が進むわけであるし、それを短絡的に「生の表現」
「死の表現」と音楽を分けるほうに無理がある」
という哲学的な助け舟も出され、「春の祭典」初演100周年にふさわしい質疑応答となりました。

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