許光俊さんのリスト批判

音楽評論家の許光俊さんが、モーストリークラシックの4月号に
「リストの作品はなぜポピュラーにならないのか」というタイトルで刺激的な文章を寄せておられるので、紹介させていただきます。

「私はリストの音楽に心動かされたことが一度もない。豊富な女性関係
を楽しみながらも宗教に憧れ、ついには僧籍を得たという人生にはひか
れる。神秘的で孤高の雰囲気が漂う肖像画もすてきだ。でも、音楽自体
には感心しないのである。彼の曲を聴いて満足を覚えたことがないわけ
ではないが、そんなときは決まって、作品ではなく演奏家の力に感嘆して
いたのだった。・・・・
 その最大の理由は彼の音楽自体にある。リストが書いた旋律は、ショ
パンやシューベルトのような繊細さや陰影に乏しく、いかにも一本調子
なのである。「ロ短調ソナタ」は思わせぶりなわりには、深い感情に欠け
ている。「前奏曲」や「ファウスト交響曲」にしたところで、しつこく繰り
返されるファンファーレ調の主題に味がない。それなりに英雄的で力強
くはあるが、本物の感動や情熱を感じさせないのだ。かといって、発展
や展開の鮮やかさに目を瞠らされるわけでもない。
 しかし、19世紀の人たちは自作を弾くリストに熱狂した。失神する女
性が続出するほどだった。想像するに、彼の作品は、自身の演奏によっ
てのみ、他のどこにも求められない強烈な何かを感じさせたのではないか。一見通俗的でありながらそれを突き抜けた別世界に到達したのではないか。ちょうどピアソラのタンゴがそうであるように。
 もっとも、リストの曲にはピアニストの生理に強く訴えかけるものがあるらしい。ときおり、彼の作品だけで一夜のプログラムを組み立てるピアニストがいる。ただ、特にオーケストララ曲に言えることだが、コンサートのメインとなるには短すぎる作品が多い。昔とは違って、現代の聴衆は一晩の最後には長くて重たい音楽を好むから。・・・(以下略)」

このとても面白い指摘をどう考えるのか、また、後日に触れたいと思います。

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