ブレンデル「誤解されているリスト」

3月25日に、許光俊さんのリスト批判を紹介させていただきました。
確かに、バッハ、ベートーヴェン、あるいはモーツァルトの作品が芸術的な高みに登り、または、汲み尽くせぬ深さを湛えているのとは対照的に、リストには、「表面的」「浅薄」「名人芸」「大げさ」といった嘲りを含んだ批判がつきまといます。
このような批判に対し、リストを擁護しているのが、リスト弾きとしても名高いアルフレッド・ブレンデルです。
ブレンデルに、『誤解されているリスト』(Liszt Misunderstood)という論文がありますが、、ブレンデルはこの中で、リストに対するもろもろの批判は、かなりの程度、誤解に基づくことを例証しています。
ブレンデルは、「リストの曲が空虚だとか、表面的だとか、わざとらしいという印象を与えるとすれば、欠点は大抵演奏者にあり、時には「偏見をもった」聴衆にあって、リスト自身のためということは、めったにない」と主張します。
つまり、「崇高なパトスが滑稽さに転落するかどうか、リストの英雄的な炎が冷却して、英雄気取りのポーズになるかどうか、リストのうっとりするようなリリシズムが、香水をふりかけた虚飾のもとで窒息するかどうか、それはピアニストの腕しだい」ということになります。
許光俊さんは、リストがピアニストの生理に訴えるものがあるようだ、と書かれていますが、それはまったくそのとおりです。
また、演奏者の力に圧倒される、という趣旨のことを書かれていますが、リストを弾く時、演奏者の責任はひじょうに大きい、ということは少なくとも言えそうです。

コメント

  1. あがるま より:

    『巡礼の年』が最高傑作で現代音楽にも直結してゐる、といふのでチッコリニのLPを買つてみたことがある。金がないので一枚(多分イタリア)。聞いてみたが、音符も少なくて面白くなかつた。
    同じ頃買つたロナルド・スミスのアルカンのピアノ曲全集も面白くなかつた。
    一番印象に残つてるのは、ブゾーニがピアノロルで演奏した『ラ・カンパネッラ』
    どうもピアノといふ楽器が好きではないらしい。