経種廉彦さん追憶

テノールの経種廉彦さんが、7月17日、52歳の若さで旅立たれました。
23日、お通夜がしめやかにおこなわれ、ご葬儀と合わせ900人を越える参列者が、経種さんとのお別れを惜しみ、最後は、経種さんの人生に「ブラボー」の声、そして拍手で、経種さんを讃える仲間の想いが一つになりました。

作曲家、指揮者、声楽家、演奏家、オペラや舞台関係の方々などが次々に弔問に訪れ、一流のステージで活躍されてきた経種さんの交流関係の広さと信頼される誠実なお人柄が偲ばれるお別れの会でした。

この5月に、松江でのコンサートをご一緒させていただく予定で楽しみにしていたのですが、ドクターストップが前々日に決まり、かないませんでした。
経種さんは、出雲大社本殿での正式参拝をとても楽しみにしていらっしゃいましたので、代わりに参拝し、出雲の神様にご快癒をお願いしてきたのですが、叶いませんでした。。

経種さんから渡されていた松江での演奏会の楽譜を、今あらためて手にとっています。
その楽譜には、イタリアのカンツォーネとともに、いくつか日本歌曲も入っています。
「悲しくなったときは」の寺山修司の歌詞に「人生はいつか終わる」という言葉があり、胸がつまりました。

国立音大で専任として任命いただいたのが、5年前のこと。
年度初めの最初の教授会で、ジャズの小曽根真さん、声楽の経種さん、そして私が、続けてご挨拶させていただきました。
数年前、九州や大阪への演奏旅行へご一緒させていただいた時も、お酒や馬刺しなどを豪快に召し上がっておられましたので、いまだに信じられない気持ちです。

子供の頃の愛読書が「エジソン」。
コンピュータを自分で作ってしまわれるほどの理科系人間。そして「僕はテレビを全く見ない人間なんだ」とおっしゃっていました。

オペラ歌手であることに誇りを持ち、多くのオペラに出演されてこられました。新国立劇場の「鹿鳴館」再演でも最後の最後まで舞台への情熱を持ち続けておられたそうです。

経種さんのお弟子さんたちの悲しみは大きく「大好きな先生」の声がもう聴けない!と涙であふれた彼らを見るのは、つらい限りです。
歌と舞台に命をかけた経種先生の姿は、皆の心に永久に残ることでしょう。

コメント

  1. yuko より:

    そえちゃんさま
    メールありがとうございます!
    昨年は、本当にありがとうございました。
    今回は、また思いがけないご縁で、嬉しゅうございます。経種さんとは、音楽でしかご一緒したことがないのですが、声楽は身体が楽器の世界!美声、発声は、体のコントロールなしには成り立たないわけで、きっと経種さんも運動神経がいい方だろうと感じていました。
    またお目にかかれますのを楽しみにしています。
    ありがとうございました!

  2. そえちゃん より:

    久本様
    過日は、SLCテニス部で素敵なピアノを奏でてくださって、ありがとうございました。
    本日、ある「ご縁」に驚いてメールしております。経種さんの弟さんがSLCテニス部で、私の同級生だったのです。一度、プッチーニの「西部の娘」にご出演の際に、観劇にうかがったことがあります。
    「ご縁」というのは不思議なものでございますね。また、久本様のピアノ演奏を伺いますのを楽しみにしております。寒い日が続きますが、御身体おいといくださいませ。
    そえちゃん でした。