第1回ソナタコンクールの本選が、巣鴨の東音ホールで行われ、小林仁先生、竹内啓子先生、播本枝未子先生と一緒に、審査員を務めさせていただきました。
http://www.piano.or.jp/compe/news/2016/12/24_22128.html
午前中は、ソナチネ単一楽章部門5名、ソナチネ全楽章部門4名、ソナタ単一楽章部門10名の方の演奏、
そして午後から夜にかけてソナタ全楽章部門15名の皆さんの演奏を拝聴させていただきました。
予選を勝ち抜いてこられた皆さんの演奏は、さすがによくさらいこまれていて、古典のソナタという一つの山に向かって日々努力を重ねてこられた成果が発揮されていました。
「ソナタ」に特化したコンクールは非常に珍しく、参加者がどのくらいになるのか未知数でもあったわけですが、多くの実りを残す結果となったことは喜ばしいことと思います。4期弾き分けが要求されているPTNAのコンペティションで、最も採点結果が厳しいのが古典派と言われています。ロマン派や近代のテクニカルな曲は、たしかに技術的な水準の高さや練習量の面で大変かもしれませんが、華々しさやメロディーの美しさだけでは勝負できない、構築力、和声力、読譜基礎力、テンポの保持力など長い時間をかけて会得し得る力が求められる古典は、若い人にとってさらに高いハードルと言えましょう。
そして今回のコンクールの特徴は、普段のコンペティションより、さらに総合力を問われる全楽章部門が出来、長いソナタ1曲を仕上げる力が問われたことです。
長い一日の最後、表彰式で小林先生がまず指摘されたのは「弱音」についてでした。楽譜にピアニッシモと書いてあってもメゾフォルテくらいで演奏している参加者の方が多かったことです。
最弱音がない、ということは「山と谷」で言えば、「谷がない」ということになります。「谷がない」ということはけっきょく大きな山がないということになるのです。弱い箇所があってはじめて強い箇所の迫力がでますし、ドラマが生まれ、抜く音と入れる音の両方があって初めて音楽になる、ということでしょう。
また「長い時間の聴取を要求するソナタの場合、飽くことなく聴いてもらうには、様々な音色がなければならない」という点です。単調にならないために、音色と強弱の変化がいかに大切か、、、という厳しい批評でした。
そして「今日の結果がもし良くなかっとしても、審査員に聴く耳がないからだ!と思えるくらいの自信で、頑張っていってほしい」とご挨拶を結ばれました。
ある水準に達している若い参加者の皆さんに、だからこその真摯なお言葉でした。
私自身も 学生時代、この「弱音」と「音色」については大いに悩みました。今もって満足はしていません。音が抜けないように、、、という呪縛から逃れてファンタジーの翼に乗って変幻自在な音を出すためには、もしかしたらコンクールや試験という”失敗が許されない状況”から開放され、自らやりたい音楽を求めるようになって初めて獲得できるものなのかもしれません。その上で、また崖っぷちに自らを追い込んだり、出来上がったものを壊して再構築したり・・・。
国立音大のピアノ科2年生は、後期試験で全員がベートーヴェンのソナタ全楽章を弾くことになっています。20分以上、曲によっては30分にもなるソナタの世界。構築力、精神力、集中力を鍛える貴重なチャンスでもあります。
長い時間を経て、なお色あせない古典のソナタ群。終わりのない古典への道を 共に歩んでいこうではありませんか。
コメント