ショパン@なんば

YAMAHAなんば店のサロンでの3回シリーズの講座、第2回はショパンを取り上げました。
愛器プレイエルを弾き、その音色からイマジネーションをさらに飛翔させ、多くのファンタジーあふれるピアノ名曲を残したショパン。そのプレイエル・ピアノの美学は、ショパンの作品に大きな影響を与えています。気品と香りあふれるプレイエル・ピアノは、「歌」を愛したショパンの傍らに常に寄り添っていました。
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柔らかなピアニッシモ、ふわりと残響が残るまろやかな切り口、これらを現代のピアノにどのように翻訳していくか、についての提案を「ショパンとプレイエル・ピアノ」をテキストに演奏を交えお話しさせていただきました。
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今回、繊細な音色のお話をするので、サロンの中でマイクを使いたくないと思い、ピアノの周りを囲む形で椅子を配置していただきました。ところが、お集まりくださったピアノの先生方に「私の声、聞こえますよね?」とお尋ねしましたら、後ろの席の方から「いいえ!マイク使ってください。」というお答え。
態度が大きいのに、私の声は小さい、、(泣)ということでしょう。諦めてスタッフの方が用意してくださったマイクを使って話し始め、ピアニッシモの魅力、ディミニュエンドの消え入るようなニュアンス、ため息のモチーフなど弱音アプローチを展開していきました。現代のピアノはフォルテッシモやマルカートを得意とする楽器ですから、そこからピアニッシモやレガートを引き出すには「技術」が必要になってくるからです。
そうこうするうちに、皆さんの耳が弱音に慣れていかれたようなのです。マイクが全く必要なくなりました。
音量というものは、「慣れ」の要素が多く、騒音の中にいると大きな声でなければ聞こえませんし、耳鳴りがするほどの静寂の中では小さな木々のそよぎでさえも聞き逃すことはありません。
光もスピードもそうです。闇に目が慣れてくると先が見えてきたり、高速道路から一般道に降りたとき、速いスピードに慣れてしまって速度を落とせなかったり・・・。
現代は、大きな音に耳が鳴れている時代です。電気がない時代の”蝋燭と月明りの夜”に想いを馳せ、ショパンの「デリカティッシモ」に近づいていきたいと思ったひとときでした。

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