ブレンデル:ハ短調KV457

ブレンデルのモーツァルトについて、続きです。
昨日触れた音楽ドキュメンタリーで、ブレンデルは、モーツァルトのハ短調KV457のピアノ・ソナタを弾いていました。
多くのピアニストは、このソナタの前にKV475の幻想曲を弾くことが多いのですが、ブレンデルは、幻想曲は弾いていません。
確か、ブレンデルは、論文か何かで、二つの作品はそれぞれ自立した傑作であり、続けて演奏されると相殺しあってしまう、といった趣旨のことを書いていたような記憶があるのですが、その考えを実践していたことになります。

この幻想曲とソナタのスコアとしては、渡邊順生先生が校訂されたものが全音から出版されています。
このスコアには、1990年7月に、ほぼ1世紀ぶりに発見された幻想曲とソナタの自筆譜が反映されており、初版譜との異同や関係が詳しく記されています。
渡邊先生は、
「幻想曲KV475〉と《ソナタKV457》が1つの統一体を形成する作品なのか、相互に独立した2つの別個の作品なのかという点については、これまでもたびたび論議されて来たが、初版の献辞を見てもモーツァルトの意図が前者であったことは明白である」
と記しておられます。初版の献辞が、
“FANTAISIE et SONATE  Pour le Forte-Piano composees pour MADAME THERESE de TRATTNERN par le Maitre de Chapelle W. A. MOZART. Oeuvre XL”
とされているからです。

 幻想曲とソナタが一緒に出版されたとしても、この二つの作品が必ず続けて弾かれなければならないとまで考える必要はないでしょう。深刻な雰囲気を湛えた幻想曲に続いてソナタが弾かれるとき、ソナタはより深刻で緊迫感を持ったものとして立ち現れるような気がします。
これに対し、ソナタは単独で弾かれるとき、その本来の姿を見せるような気がします。
渡邊先生も、この2曲それぞれが単独で弾かれることを否定されているわけではありません。
「但し、モーツァルト自身が行ったように、《幻想曲》のみを切り離して単独演奏する可能性も排除されるべきではない。その際には、最終小節の扱いが問題になるだろう」
と敷衍しておられます。

モーツァルト自身がどう弾いたかは、記録に残されていないようですが、このソナタの前に必ずこの幻想曲をセットで演奏していた、ということも考えにくいように思えます。
「それぞれ独立して作曲したのだから続けて弾くのはナンセンス」
と言い切っておられるピアニストもおられます。そ
れにしてもこの幻想曲の独創性、オペラの登場人物が次々と現れるような変幻自在な魅力は、独特の世界です。自由なテンポの幻想曲からソナタに入るとき、形のないものから形あるものへの変化のようなものを感じる瞬間です。
モーツァルト愛好家の皆様、いかがお感じでしょうか。

近くの、抜弁天厳島神社に参拝に出かけました。音楽の神様が祀られています。
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