女子フィギュアスケート ~フリー~

ほとんどテレビを見ないほうですが、フィギュアスケートを放映しているとついつい見入ってしまいます。

祖父がフィギュアの審査員をしていたことがあり、母は、満州の庭に水を撒き、スケートリンクに見立てて毎朝、スケートの練習をしていた、と聞かされて育ったせいか、このスポーツ、親近感と憧れを感じるのです。

もちろん私は、まったく滑れません。
片足で立っているだけでも大変なのに、そのまま滑って何メートルも微笑みながら滑り続ける、ジャンプする、2回も3回も回転する、、、とても人間業と思えません。
しかもバレーと同じで、表現力がないと「芸術」点がとれない、厳しい世界です。

世界選手権ともなると「下手」な人はテレビの画面に現れません。
それぞれの国の花を愛でるような気持ちで画面に見入るのですが、
私自身、音楽をやっている人間なので、どうしてもスケートの動きと音楽が一致していて体からあふれる表現が音楽に一致していないと、どうも見ていて居心地が悪いのです。

音楽には、重い音、軽い音、流す音、打ち込む音、切り込む音、といろいろな意味と動きがあります。
それにピタっと合う動きをすると、見事な技術とともに、爽快な気分になるのですが、なぜこういう振り付けになるんだろう、なぜここで、こんなに動きと関係ないような音楽を使うのだろう、、、と思えるとそちらばかりが気になってしまうのです。

しかも音楽の持つ力、気持ちを高揚させる、熱狂させ、血を踊らせる、または、ロマンティックな夢を見させる力、そういった変化をまったく使わないで、メリハリなしのただ綺麗なだけの音楽を4分近く流し、それと関係なく技術を順番に披露していく、となるとまるで魂のないあやつり人形を見ているようなむなしい気持ちになってしまいます。

そういう面で、韓国のキム選手の音楽と動きの一致度は、素晴らしいものがありました。
シュパっと斬りつけるような音楽が、エッジの音や動きととともに効果倍増。
目力や表情も加わり、そして技と技の間も常に演技し続けている流れが音楽とともにあり、動きが音楽と一致しているので、見ている人の心を惹きつけて離しません。さすが!と思ったらやっぱり優勝でした。

演技中のすさまじいまでの自信と集中力と表現意欲。
そして高得点に喜ぶときの素顔のような薄化粧での微笑み。
国歌と国旗を前に見せる表彰台での涙。

世界中のフィギュアファンに陶酔と感動を与えた一晩でした。

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